◎子供たちの笑顔と輝きが消えない世界でありますように。

唄「さようなら、そしてありがとう」(BEGIN)   制作:Ouxito 

-さようならの言葉-

★旅をして、その国の写真をよく撮る。
 デジタルカメラなので、やたらとむやみに何枚も取る。

・最近は、このことを反省をしている。
 写真はやはりテーマを決めて撮るべきではないかと思ったからである。

・どの国の子供たちも、ある輝きを持っている。
 特に、その笑顔がステキだ。
・まさに「仏性ここにあり」との世界である。

・貧しい子供も、豊かな子供も、障害を持った子供達も、みなそうである。

・右の写真は「焼きバナナ」売るフィリピンの少女です。

・厳しい環境下でも不屈の精神で生きている。人間のたくましさを感じ、尊敬もする。


-子供たちと別れるとき-

・私は、日本語の「さようなら」の言葉で別れる。
・あえて、その国の「別れ言葉」は使わない。

・それは、私を同国人とは決して思っていないだろうから・・

・「さようなら・さようなら」と、日本語で2回言って別れる。

・すると、小さな声で「さようなら・・・」と答えてくれる。

・「さようなら」の日本語は、世界では有名らしい。
・そして、別れ言葉であることがわかるらしい。

★しかし、私は「さようなら」の意味を知らない。

・いつも使っているので、考えたこともない。
・その意味を調べて見たが、・・・

・そうか、そうでしたかという答えも、まだ見つかっていない。
・誰か、教えてください。


  「さようなら」という言葉

★日本語の「こんにちは・ありがとう・さようなら」の言葉は、諸外国の人達に有名である。

・彼らは、日本人をみるとこの言葉を発して自己アピ-ルする。
・この言葉は、日本語を代表する言葉らしい。

★中国語の「再見」は
 「私は、あなたに再び会いたい」という意味で「ザイ・チェン」

★スペイン語の「Adios.」は
 「あなたに神のご加護がありますように」という意味で、とくに旅人に対しては「神があなたを守ってくれますように」と祈りを込めて「アデオス」を告げて別れる。

★それでは、日本語の「さようなら」の語源は何なのか
・調べて見ると、これが意味不明なのである。

・例えば、偉い先生の解釈では「さようなら」は、

・「そうなら、そうならば、それでは、では、じゃあ」などと同じ言葉で、
「それでは、これで失礼します」とか、「さようなら(ば)、あした会いましょう」とか言うところを全部言わずに、初めのところだけで止めて「さようなら」だけを言った。

・その根拠は、
 「さよう」は、「そう」の丁寧形「そうですか」を丁寧に
 言えば 「さようですか」となり「そうならば」の「そうなら」を丁寧に言えば、「さようならば」「さようなら」になる。と述べています。

★「さようですか」と、述べたいのだが、ちんぷんかんぷんである。
・また、諸説も沢山あり、どれが正しいかわからない。

・つまり、この言葉は有名だが、定説はないようである。

★偉い先生の説で「さようなら」を考えると
 ①さようなら また明日 
 ②さようなら また後で
 ③さようなら これで最後だねなど
  述語をつけて話すのが、正しいらしい。

★いつも通り「さようなら」というセリフだけを相手に伝えたら、
 言った人と聞いた人とが、別々の意味で考えてもよいということもできる。

・例えば、恋人同士が別れ際に男が「さようなら」という。
 (その意味は「もう会わない・会えない」)

・聞いた女性は「また、明日会おう」と解釈して、ニコッと笑顔を見せる。
・まことに、べんりな言葉である。

★日本人は、この意味不明な言葉を、いつも親しみをこめて使っている。

・そこが、おもしろく、また何となくうれしくもなる。
・わたしも一度、恋人に試してみたいが、しかし、恋人がいないので試しようもない。

★理屈はともかく、わたしが日常で使う「さようなら」に
 は、何ら抵抗がないので良い。

・でも、大きなわかれの時に「さようなら」だけで終わるのかと、悩んでしまう。

★そういえば、米国人の教師「ラナルド・マクドナルド」が、70歳で没するとき
  「SOINARA my dear、SOINARA」と呟いて息絶えた。
・最後の言葉が「さようなら」である。
・彼の日本の滞在期間は、わずか7ヶ月であった。

★最後の言葉は、人と言葉との繋がりの年数では無く、
 言葉への、心の想いの強さから発せられるらしい。
 とすれば、私は曖昧な人間なので、最後の言葉は、やはり

さようならの一言で終わるか・・?

・あなたなら、何と呟いてわかれる?
・誰か、教えてください。

2014/03(記) 

  




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