◇歴史ノート 三星堆遺跡 (さんせいたい いせき)


・中国の文明は、「黄河文明」から始まったと思っていた。
・1980年(昭和55)、日本の新聞やテレビで、「長江流域」で古代文明の遺跡が発見されたと報じられ奇妙な形をした「仮面」が載った。
・しばらくは、報道されていたが、その後この情報は自然と消えた。
・定年後、中国の大学で仕事をしていた時、休みが結構あったので、一人で中国の「世界遺産」巡りをしていた。
・2010年(平成22)、黄龍と九寨溝を見た後、成都で偶然「三星堆博物館」のポスターを見た。そのポスターには、若いとき新聞でみた「奇妙な仮面」が載っていた。
・調べてみると、成都から近く、バスで日帰りできる距離であった。
・事前知識も何もなく、興味本位で出かけてみた。
・「三星堆博物館」は、遺跡の中にあった。見学者は少なかった。
・博物館の展示品は自由に写真が撮れた。その後、この記録写真は15年ほど眠っていた。
・2026年(令和8)、黄龍と九寨溝の旅の記録をまとめていた時、この「三星堆遺跡」の写真も出てきた。写真の枚数は多くはなかったが調べてまとめてみることにした。



・1929年(昭和4)に、地元の農民が農地の溝をさらっている時に偶然、一坑の玉石器を発見した。
・この出来事が、後に世界的に有名になる「三星堆遺跡(さんせいたい)」の発見の切っ掛けとなった。
・1931年(昭和6)、春には華西(かせい)大学がこの遺跡の重要性に着目した。
・1934年3月、華西協合大学古物博物館による初めての科学的な発掘が行われた。
・1950年代~1960年代の戦後、四川省文物管理委員会や四川大学などによる「三星堆遺跡」の本格的な調査が行われた。
・この結果「三星堆遺跡」が、古蜀国(こしょくこく)時代の大型中心集落であることが明らかになった。
・1980年以降、更なる発掘が始まり、1986年7月~8月にかけて、1号と2号の「祭祀坑」が発見された。
●祭祀坑 (さいしこう) = 古代の人々が神や精霊、祖先などに対する祭祀(祈りや儀式)のために、貴重な供物を埋納した遺構のこと。
・この祭祀坑からは、青銅製の仮面や立人像、神樹など、それまで知られていなかった独特の様式を持つ大量の遺物が出土して「一醒驚天下」と評される世界的な大発見となった。
●一醒驚天下 (いっせいきょうてんか) =「長く眠っていたものが目を覚まし、世間に大きな衝撃を与える」という意味。
・2019年の秋、さらに新たに6つの祭祀坑が発見された。
・青銅大面具や青銅神壇など17,000点以上の文物が出土し「再醒驚天下」と呼ばれる新たな発見が続いた。
・また、2022年~2024年にかけては、玉石器の「生産工場」とみられる遺構も見つかっている。
・三星堆遺跡は、1929年の偶然の発見から始まり、約100年にわたる考古学者たちの継続的な調査と発掘によって、その全貌が徐々に明らかになってきている。
・中国の20世紀最大級の発見の一つとして位置づけられている遺跡だが、まだ文字が発見されていないため、謎が多すぎる遺跡でもある。




・三星堆遺跡は、中国四川省の広漢市三星村にある約5000〜3000年前の長江文明に属する古代遺跡です。成都からは40㎞北にあります。
・長江文明を「古蜀文明(こしょく)」といい、三星堆はその中心地で、巨大な青銅の仮面や人頭像など、極めて高度かつ独自の造形物が出土して、従来の中国の黄河文明中心の歴史観を覆すほどの発見であり世界的な注目を集めた。
●古蜀文明 = 今から約4500年前~紀元前316年まで、中国・四川盆地で栄えた青銅器文明で黄河文明とは異なる独自の発展を遂げた文明のこと。
・発掘にあたった関係者は、誰もが度肝を抜かれたに違いない。とても不可思議な遺物がたくさん出てきた。
・前方に大きく突き出た目、高い鼻、巨大で垂れ下がった耳、耳の付け根まである大きな口。こんな形相の青銅仮面が発掘を進めると次々と出土した。
・どれも幅130センチメートル以上、高さ60センチメートル以上と、特大なサイズの仮面だ。
・出土したのは仮面だけでなく、高さ260センチメートルにも及ぶ青銅立人像や高さ4メートル弱に及ぶ青銅神樹など、従来の古代中国の遺跡から出土した遺物とは明らかに違っていた。
・この不可思議な遺物が発掘された場所は、四川省の三星堆遺跡で、紀元前3000年から1000年前のものと推測された。このことは「黄河文明」と同時代の遺跡となる。
・この遺跡は、城壁に囲まれた宮殿を持つ遺跡で、そのため王権が成立していた都市と推定されている。総面積は約12㎢、古代都市自体は約3.6㎢と広く、中国最大の古代蜀文化遺跡となっている。
●「三星堆遺跡 (さんせいたい)」と呼ばれていのは、四川省広漢市三星堆鎮(三星村)の亜子河のほとりに位置する青銅器時代の遺跡のため。
・遺物は「祭祀坑」から出土されて発見されるが、なぜかほとんどが破壊されている。当時の人々は、遺物を破壊し「祭祀坑」に捨てて埋めたと考えられる。謎である。
・紀元前に高度な青銅器技術を持ちながら、文字は発見されていない。そのため遺跡の解明は困難を極めている。




・遺跡からは、大きく筒状に飛び出した目を持つ巨大な青銅仮面や、人頭像、高さ2.6メートルにも及ぶ青銅の立人像など、黄河文明の殷や周の文化とは全く異なる、非常に神秘的な造形物が多数出土している。
・青銅仮面や神樹などの青銅器の製作技術は極めて繊細で高度な技術で造られています。
・この遺跡からは文字資料が全く出土していないため、遺物は何の目的で誰によって造られたのかは解明できていません。
・また巨大な祭祀坑からは、意図的に破壊されて大量の祭器が捨てられていたことなど、なぜこのような行為が行われていたのかも謎に包まれている。
・紀元前1,000年頃、この三星堆文明は、突然姿を消している。この「古代遺跡」は、本当に謎だらけに包まれている遺跡です。


・「古代の古蜀文明」については、中国の古い歴史書には何も書かれていません。
・司馬遷の『史記』には春秋時代の四川省に「蜀王国(しょくおうこく) 」があったと一文が載っています。
・秦の「秦本紀(しんほんぎ)」では「秦の恵文王(前316年)、秦の将軍・司馬錯(しばさく)が辺境の野蛮人の「蜀」を滅ぼした」と書かれています。
・北宋時代の(983年)の『太平御覧(たいへいぎょらん)』は、秦の恵文王のとき、秦には純金を排泄はいせつ)する牛がいるとの流言を「蜀の国」で広めさせ、秦から蜀にその牛をプレゼントしたいと申し入れた。
・秦は、道が整備され次第贈ると伝えたところ、「蜀王」が喜んで応じ、南北を貫く道を整備したことから、秦軍はその道を使うことで、やすやすと、蜀の征服を果たしたという内容で疑うことを知らない蜀の王をあざ笑うかのごときに書かれています。
・中国史は、黄河流域の興亡を中国の王道として説き、古代の長江流域は未開の野蛮の地と扱われていたようです。
・三星堆遺跡の出土品の中で最も印象的なのが、両目が異様に飛びだした青銅製の仮面です。これは「縦目仮面(たてめかめん)」と読んでいます。
・東晋時代(355年)の書物で『華陽国志(かようこくし)』という書物があります。
・現在の四川省・雲南省・貴州省などの地域の歴史や地理をまとめたもので、その中の「蜀志」編に「蜀侯蚕叢有り、その目は縦にして、始めて王を称す」という記載があります。
・蜀国は、東周の時代(紀元前770年~紀元前256年)に、東周から封じられて諸侯となり、戦国時代には、戦国の七雄に対抗して帝号を称したと「蜀王」の伝承を述べています。
・目は縦にして、という意味を中国人は理解できなかったのですが、三星堆遺跡から出土した「縦目仮面」をみて初めて理解したようです。
・また「蜀王」は、蚕叢 (さんそう)有りと書かれているので、王様の名前は蚕叢です。
・古代神話伝説における蚕の神であり、その形象の特徴は縦目、椎髻で左前の衣を着用し、初期には岷山(びんざん)の石室に居住し、後に部族を率いて成都平原に移り、養蚕業を発展させた王として書かれています。
・これらの話は、三星堆遺跡よりずっと後の話ですが、発掘研究が進めば「黄河文明」に匹敵する「古代古蜀文明」が四川省にあったことが解明されます。

・1986年の発見以降も継続的に発掘調査が行われ、2020年〜2022年の調査では新たに10,000点を超える遺物が発見されて黄金の仮面や精巧な祭壇などが出土した。
・これらの出土品は、現在は遺跡の敷地内にある「三星堆博物館」に数多く収蔵展示されています。
・この博物館の遺物を見れば、古代蜀文明の独特な精神世界や高度な工芸技術を現代人は目にすることができます。
・「三星堆遺跡」は、中国考古学史上最も驚くべき、そして不可解な発見の一つです。
・1929年の発見以来、その起源、文化的な関連性、そして突然の「三星堆遺跡」の消滅をめぐっては、数々の謎が残されています。
・これらの謎は、中国文明の起源に関する従来の考え方に疑問を投げかけるだけでなく、多くの憶測をも引き起こしているようです。

2026/07(記) Ouxito

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