◇歴史ノート  殷王朝の滅亡


■・殷王朝(いんおうちょう) (前16世紀頃~紀元前1046年)

・中国で考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝です。
・中国では、商(しょう)王朝と呼ばれている。

・紀元前16世紀頃、殷の「湯王」(とうおう)が、夏の暴君「桀王」(けつおう)を滅ぼして建立した王朝です。

・紀元前1046年に最後の殷王「紂王」(ちゅうおう)の時に、周の「武王」(ぶおう)によって滅ぼされました。

・殷王朝は、建国から約500年間「湯王~紂王」まで、30代の国王によって黄河中流域を支配した王国です。


■・殷墟遺跡の発見

・1899年のある日、清の秘書官「王懿栄」(おういえい)は、服用した漢方薬の「竜骨」(古代の動物の化石)に、青銅器の銘文とよく似た記号を発見した。

・偶然に発見されたこの「甲骨文字(こうこつもじ)を手がかりにして「竜骨」の産地である河南省安陽(あんよう)の村(現在の殷墟所在地)を突き止めた。

・発掘は1928年より開始されたが、日中戦争で中断し1950年から本格的に開始された。深さ20メートルから多数の巨大墳墓が発見され、ここが伝説の殷王朝の首都(殷墟)であることが確認された。


■・王墓からは、多くの青銅器や甲骨文字(こうこつもじ)玉石器類や大量の人骨が出土された。

・殷王は、占卜(うらない)によって政治を行い、歴代の王の霊や神霊に対する祭祀(さいし)を行い国家をまとめる神権政治を行ったことが解明される。
・殷王が、占いを行うときに使われたのが甲骨文字であった。

・この甲骨文字の解読から、殷王朝は強大な軍事国家で多数の奴隷を私有していたことも解明された。

・殷王朝は、青銅器製造技術を独占して他の集落(邑(ゆう) )に対して青銅器の祭器を分与することで権威を保っていたと考えられた。

・殷王朝は、殷王の支配する殷の大集落(大邑)と周辺の邑と言われる集落との連合体からなる「邑制国家(ゆうせいこっか)で、その勢力範囲は、黄河中流域の華中地域と華北の一部が勢力範囲と考えられる。


■・殷墟から出土した大量の人骨は何を意味しているのか?

・殷墟などから甲骨文字や青銅器とともに大量の人骨が見つかっている。
・人骨は殷王の所有した奴隷の遺体と考えられていたが、現在は祭祀などの犠牲とされた周辺民族もふくまれていると推測されている。

・殷王朝は、政治体制を維持するために強権による人々への見せしめとして多くの人身を処刑したと思われる。

・このような恐怖政治は、他の多くの部族の反感を買い、やがて、周国を中心に微国など東西南北の8つの従属国家が連携し殷王朝に反乱を起こした。
・この戦いを「牧野の戦い」(ぼくやのたたかい)という。

・約500年間続いた殷王朝は一夜にして、滅亡した。(紀元前1046年)


◆ エピソード

・殷王朝の長い歴史の中では、暴君も善君も居たのだろうが、殷王朝の最後の王である「紂王」(ちゅうおう)は、中国王朝の歴代支配者の中でもすこぶる評判が悪い。

■・酒池肉林と炮烙の刑((しゅちにくりんほうらくのけい

・美貌の妃、妲己(だっき)を溺愛し、いわゆる「酒池肉林」の贅沢を極め、諫める臣下を「炮烙(ほうらく)の刑」で虐殺するという暴君ぶりを発揮したと言われている。

・紂王は、けして無能な天子ではなく、聡明で弁が立ち、行政手腕もあり、知的能力に加えて素手で猛獣と格闘するほどの王であった。

・しかし、即位9年目に後宮に入った妲己の美貌に心を奪われ歯止めのきかない享楽の日々を送ることになった。

妲己の求めで、鹿台(かしだい)という御殿に財宝を集め、犬や馬や珍奇なものをあつめ、沙丘という離宮の庭園には野獣や鳥を放し飼いにしてレジャーランドと化した沙丘に酒を満たした池を造り、樹木に干した肉をひっかけて肉の林にした。

・紂王の無道に耐えかねて反旗を翻した諸侯に対しては「炮烙の刑」であった。

・際限のない奢侈と淫虐の果てに、周の武王の率いる諸侯同盟軍に攻められた時は、殷軍は武器を捨てて逃げた。

・紂王は、追いつめられて最後は鹿台の宝物殿に登り、宝石をちりばめた衣装を身につけて火中に身を投じて死んだとされている。

・紂王の話は、歴史的事実としては証拠がなく怪しいが、500年にわたる王朝権力の中で権力が腐敗の極みに達していただろうことは想像できる。

・牧野の戦いで、圧倒的な軍事力を持つ殷王朝軍は、周連合軍が攻め入った時、戦わずして武器を置いて逃げたと司馬遷の「史記」に書いてある。

・それは、殷の諸侯と殷の百官がみな酒に耽り、軍隊を失ったからである。と言われている。

・中国古代王朝「殷」は、「妲己という悪女と酒によって滅びた」という伝承が残っている。

※・酒池肉林 (しゅちにくりん)
・酒を満たした池を造り、樹木に干した肉をひっかけて肉の林にした。
・そこに裸の男女に鬼ごっこをさせ、自分は妲己を侍らせ、一晩中牛飲馬食をむさぼった。これが「酒池肉林」だ。

※・炮烙の刑 (ほうらくのけい)
・ 銅の板に油を塗って横に吊るし、下から火を焚いて熱くなったところを受刑者を渡らせる刑罰で受刑者は滑って火の中に落ち焼け死んでしまう。

※・商人という言葉は、殷(商)人が国の滅亡した後の暮らしとして、各地を渡り歩き、物を売っていたことに由来するとされる。
・店舗を持たずに各地を渡り歩いて物を売っていた人を「あれは商の人間だ」と呼んだことから「商人」という言葉が生まれたという説である。・・本当か?


Aikn5B.jpg あとがき

■・妲己(だっき)は、殷王朝末期の紂王(ちゅうおう)の妃。

司馬遷の『史記』では、
・妲己は、紂王に寵愛され、紂王は彼女のいうことなら何でも聞いたという。

・鹿台(ろくだい)を建てて、そこに財宝を集め、粟を満たし、犬や馬や珍奇なものを集め、鹿台の庭には野獣や鳥を放し飼いにし、池には酒を満たし、木には干した肉をひっかけて肉の林にした。

・毎夜、楽師に音楽を奏でさせ、踊り子に舞いを舞わせ、大勢の者を集めて楽しみ戯れた。

中国の『列女伝』では
・「炮烙の刑」を見て妲己がよく笑ったため、紂王は「炮烙の刑」をよく行ったと書いてある。

悪女「妲己」の最後は
・周の武王(ぶおう)によって首を斬られ、小白旗に掛けられ「殷を亡ぼす者はこの女なり」と言われたと書いてある。

・現代の中国では妲己の名は、
・夏王朝を滅ぼした「末喜(ばっき)と共に、悪女の代名詞的存在として扱われているが、魅惑的な女性の代名詞でもあるらしい。

・妲己を題材にしたドラマや映画が多く製作されている。

2024/12(記) Ouxito   

目次

黄河文明

夏王朝の滅亡

周王朝の滅亡

三星堆遺跡





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