1.インダス文明とは

・パキスタンとインドの西側にインダス平原があります。この平原をヒマラヤから流れる河がインダス川です。
・この川の流域に、紀元前2600年頃に高度な文明がありました。それがインダス文明です。

・1826年に旅行家の「チャールズ・マッソン」が、インダス平原の「ハラッパー」に、周囲約5kmに及ぶ巨大な廃墟にがあると報告しました。

・1853年~1856年に、英国人の「アレクサンダー・カニンガム」が、このハラッパー遺跡の発掘を行い、未知の文字が書かれた印章や土器などを出土して、未知の文明の存在があることが認識されました。

・この廃墟は「神の怒りによって滅んだ」との地元の言い伝えも紹介し、英国人の考古学的好奇心を大いに刺激します。

・1921年、英国はこの遺跡の本格的な調査を始めます。

・それから100年間、モヘンジョダロ遺跡や周辺の遺跡など、多くの遺跡や遺品も発見されましたが、未だにこの文明については詳しく解明されていません。

・その理由は、インダス文字の未解読にあります。
・インダス文字の資料は、約3000資料ほどあり、文字の種類も約400ほどありますが、小さな印章に刻まれた文字で数が少なく、長いものでも27文字です。そのためにこの文字の解読が大変難しく、現在も未解読なのです。

・インダス川流域では、紀元前3300年頃から集落が形成され農耕がされていたようです。
・紀元前2600年頃に、ここに高度な都市が建設されて文明が起こっていたようです。

・その800年後の紀元前1900年頃、なぜか「モヘンジョ・ダロ」を始めインダス文明は、突然崩壊し放置されたようです。なぜ崩壊したのか、その理由も謎となっています。

・世界の四大文明の中で「インダス文明」は、まだ詳しく解明されていない文明です。

2.インダス文明の特徴

■・高度に計画された都市国家

・インダス文明の最大の特徴は、高度に計画されて造られた計画都市郡です。
・都市は、日干しレンガで造られていますが、下水道や浴場、井戸や水洗トイレ、幅広い道路などが、高い技術で造られています。

・約4600年前の時代に、なぜこのような高度な都市が造られたのか今もわかっていません。

■・出土された印象と土偶と工芸品

・インダス文明を代表する遺物の中に印章があります。
・一片3㎝程の石版に動物の絵が彫刻されています。
・その中で7割程の絵が「一角獣」です。
・他には、パイソン、コブウシ、ゾウ、サイなどです。

・なぜ、この図柄を使ったのか解りませんが、多くは角を持った動物が多く、そのことが意味があるのかもしれません。

・印章は、経済活動や行政で使われたものと考えられますが、図柄は部族や集団を表していると思われます。
・彫られる「インダス文字」が改名されていませんので謎です。

■・土偶

・地域ごとに出土種類が違いますが、土偶の多くは女性像です。
・地域ごとに「地母神」として崇められていたようです。
・インダス文明初期には「神官のような男性像」もありました。

■・工芸品と土器

・工芸品は、高度な技術で造られています。
・素材も硬い石で加工されています。
・インダス文明では、エジプト文明やメソポタミア文明のような大型の工芸品はありませんが、高い技術で生産され、交易の商品として造られていたのかもしれません。

3.交易が盛んな商業都市

■・広い範囲の交易が盛んな商業都市

・またこの文明は、広く交易活動を行い商業経済が盛んにだったようです。

・遺跡からは、多くの文字が刻まれた印章が出土されていますが、この印章は、交易の荷造りの封印や、契約の印章として使われていたと思われます。

・これらの印章は、ウル遺跡や中央アジアの遺跡から発見されており、アラビア海を経てメソポタミア文明と交易やカイバル峠を越えて中央アジアとの交易が行われていたようです。しかし詳しい事は、まだ解っていません。

4.インダス文明の宗教観

■・神から授かった宗教

・発見された印章の中に「神とも王とも」思える印章があります。
・頭には2本の角と植物を冠し、台座の上に座っています。
・また、その人物に動物を捧げる印章もあります。

・有名な「神官王」とよばれる石像も掘り出されています。
・遺跡の出土品から神官による統治が見られます。
・しかし、廃墟の都市遺跡からは「神殿」とみられる遺構が見つかっていません。

・文明が滅んだ後、この地にやってきたアーリア人の宗教「バラモン教」には、この「インダス文明の宗教観」が多く取り入れて大きな影響を与えています。
・「輪廻転生説や解脱の方法」など、アーリア人の「バラモン教」の奥義書『リグ=ヴェーダ』にその記録が残っています。

・アーリア人とは、中央アジアから南下しやがてガンジス川流域に定着した現インド人の祖先達です。

・「解脱」とは、瞑想をすることで、神と一体になれるという思想です。
・インドのヨーガや釈迦の解脱は、この流れとして考えられています。

5.人々は何を食べていたのか

■・インダス文明の人々の食べ物

・穀物栽培と家畜の飼育が行われていたようです。
・穀物栽培は、主に小麦や豆類と雑穀です。

・家畜の飼育では、牛、羊、山羊、水牛やこぶ牛などを飼育し、狩猟動物は、シカやイノシシ、ガゼルの骨などが遺跡から出土しています。

・どのような方法で食べていたは、出土した土器の内側を考古学的に調べるとで解りますが、穀物類は潰して粉にし焼いて食べていたようです。

・酒類も造られており、豊かな食生活を送っていたようです。

*現代の南アジアの食生活

6.文明の衰退と崩壊

■・インダス文明の衰退と崩壊

・インダス文明を造ったのは、先住民のドラヴィダ民族です。

・その子孫たちは、現在南インド地方に多く住んでいるタミール族と考えられています。

・文明が崩壊した後、侵入してきた他民族に追われ長い年月をかけてインドの南部に南下したものと思われます。

・その彼らドラヴィダ族が、なぜ高度な文明を築けたのかもまだ解っていません。

■・なぜ崩壊したのか

・インダス文明は、紀元前1800年頃から衰退期に入り、紀元前1500年には滅亡しました。
・その原因としては、次のような説が考えられています。
①インダス下流域の気候変化で洪水や海面の上昇などが起こり、インダス川流域から人々は東に移動した結果、文明が衰退し崩壊したとする説。

②ユーラシア大陸が温暖期に入り積雪量が減って春先の流水量が減少した。そのためインダス川の流れが変わって農耕社会に打撃を与えたとする説。

③かっては異民族(アーリア人)の進入による崩壊説が主流でしたが、
遺跡の年代測定の結果、アーリア人の侵入は、インダス文明が衰退期に入ってからの侵入となっていますが謎です。

④都市部の遺跡から、多くの人々が一斉に死亡した人骨が出土されています。そのため、疫病が流行して衰退したとする説もあります。

*しかし、いずれの説もそれぞれ疑問が残ります。謎のままです。

Aikn5B.jpg7.あとがき

・インダス文明は、今から4600年前の文明です。
・この文明は、インダス川の氾濫によってもたらされた肥沃な土地と、西のメソポタミアとの交易によって栄えた文明と言われています。

・大都市であった「ハラッパーとモヘンジョ・ダロ」には4万~5万人が住みその他の周辺都市を会わせると8万~10万人が暮らしていたと思われます。

・インダス文明の住人は「ドラビダ族」と言われています。
・人々は、農業、交易、手工芸等に従事し、高度に発達した都市国家を築き、標準化された計量単位や荷物の封印のための印章を使用して、広く交易をし、複雑なインダス文字を使用して暮らしていたようです。

・紀元前1900年頃、モヘンジョ・ダロを始めインダス文明は、突然崩壊しました。この突然の崩壊も謎となっています。

・メソポタミア、エジプト、中国の黄河文明と並ぶ四大文明のひとつですが、これらの文明に比べてインダス文明は、解明されてない点が多い謎の文明です。
・それは、出土する印章や護符、土器などに記されたインダス文字がまだ解読されていないためです。

・ドラビダ族は、その後侵入してきた「アーリア人」に支配され奴隷となりますが、その子孫は、インドでカースト制度の最下位層の住民として現在も暮らしています。

・私がこの文明に興味を持ったのは、アーリア人の宗教の奥義書『リグ=ヴェーダ』が、インダスの宗教から取り入れた書で、そこにはインダスの人々が神から授かったとする宗教観が書かれていることです。
・輪廻転生や瞑想して解脱をする方法などが書かれています。

・現代、インダス平原の砂漠化が進行していて遺跡の崩壊が激しいため、一刻も早く、インダス文字の解読が進み文明の謎が明らかになるのを期待します。

2024/11(記) Ouxito   




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