■三蔵法師の旅   序 文

序文

■三蔵法師 玄蔵の旅

目次

1.三蔵法師(玄蔵三蔵)の生い立ち
・貧しい家に生まれた幼い玄蔵は、努力をして寺の僧侶になった。
2.玄蔵の生まれた時代
・随の滅亡期(日本では飛鳥時代)に混乱する「洛陽」の町で育った。

3.般若心経との出会い
・兄と成都に逃れた玄蔵は、21才で成都で「受戒」を授かった。
 受戒とは、仏教界から本物の僧侶として認められること。
・病身の貧者を助けたとき、お礼として「般若心経」をもらう。

1.河西回廊を歩く
・長安の朝靄にまぎれて脱出したあと、
 秦州・蘭州・涼州・甘州・酒泉をへて爪州へ着く
・河西回廊1,000㎞の過酷な旅をする。

2.嘉峪関に着く
・酒泉には、万里の長城の西端の城「(嘉峪関(かよくかん)」がある。
 ここから西は、唐の時代では異国の「西域」である。
 いよいよ国禁を破って西域をめざした。

1.ゴビ砂漠の苦難

・熱砂のゴビ砂漠を、水を失いながらも赤馬と進む
 窮地に陥ったときには「般若心経」を唱え進んだが
 やがて絶体絶命のピンチをむかえた。
・気がつくと赤馬が、水のあるオアシスまで導いてくれた。

1.ハミ国に入る
・瀕死の状態でハミ国に入り体をやすめた。
 体の回復を待つ間、異国の人々に仏教を教えた。
2.高昌国(トルファン)での仏教講義
・高昌国王の厚いもてなしで体力を回復できた。
・その後「高昌古城」で、三百人の人々に仏教の法話を話す。
3.天山南路を行く
・高昌国王の応援を受けて、いよいよ天山南路を西に向かう。

1.クチャ国に入国
・クチャ国は、西域最大の仏教国である。
・高僧「鳩摩羅什」( くまらじゅう)の生まれ故郷でもある。
・インドの仏典を漢訳した二百年前の高僧である。
・玄蔵が持っていた「般若心経」も鳩摩羅什の訳した仏典である。
2.天山山脈を越え
・天山の雪解けを待って天山山脈に入る。
・4,000㍍の峠越えで高山病や凍死で従者や荷物を多く失う。
・想像を絶する困難に耐え見いてやっと山脈を越えた。

2019/05/30 (記) Ouxito 

  





906 0 1