「ポルトガルの歴史」  

ポルトガルは、イベリア半島南西部に位置し東と北の国境をスペインと接し、西と南は大西洋に面した海岸線が広がる欧州最西端の国です。

・国土は日本の約4分の1で国民約1,064万人ほとんどがキリスト教徒(カトリック)です。
・公用語は、スペイン語とよく似たポルトガル語が用いられている。

・大西洋の海の幸に恵まれたポルトガルでは,料理の素材に魚介類が多く使われ,日本人と同じくイワシやタコを好んで食べる食文化がある。

・北部の都市ポルトから出荷される「ポートワイン」は有名で,世界中の人々に愛飲されている。

・ワインボトルの栓などに使われる「コルク」は、ポルトガルの特産品の1つで世界生産の実に50%以上を占めている。

・ポルトガルには「ファド」という大衆歌謡があり,ポルトガルギターなどの伴奏で人々の細やかな感情を哀愁たっぷりに歌い上げる。どこか日本の演歌と通じるところがある。


歴 史 


■日本にとってポルトガルは、ヨーロッパの中でも最も長い交流の歴史を持つ国です。
 この国の歴史の流れを見てみましょう。

■12世紀 英雄「アフォンソ王」により、ポルトガル王国が建設される。

・先史時代には、イベリア半島にはクロマニョン人が定住していたが、BC1200年頃フェニキア人が入植、その後BC800年頃にはギリシャ人も入植し定住していた。さらに、その後は断続的にケルト人も侵入した。

・BC201年、ローマ帝国が侵入し、当時イベリア人とよばれていた人々を支配し「ローマの平和」のもとでイベリア半島のラテン化を進め支配した。

・ローマ帝国が衰退すると5世紀ごろ、今度はゲルマン人が侵入して「西ゴート王国」を建設してキリスト教を広めた。

・西暦711年、北アフリカのイスラム教徒ムーア人が半島に侵入しここを占領する。
・その後、イベリア半島は長い間(約800年間) イスラム王朝に支配された。

ポルトガルに英雄現れる。

・1109年ごろポルトガル北部の町「ギマランイス」にアフォンソ・エンリケスが生まれた。

・貴族の子であったアフォンソは、1128年「サン・マメデの戦い」で勝利を収めたのち、「レコンキスタ」(国土回復運動)と呼ばれる反イスラム勢力との戦いを続け、徐々にポルトガルの南部をイスラム教徒から奪還していった。

・1139年には「オーリッケの戦いで」、イスラムの「ムラービト朝」に大勝を収め、アフォンソはポルトガル地域をイスラム勢力から解放した。(ポルトガル地域のイスラム支配は約400年間で終わる)

・1143年、カトリック教会の仲介で「ポルトガル王国の独立」が承認され、アフォンソ1世のポルトガル王国が誕生した。

■15世紀に始まる大航海時代、ポルトガル王国が「7つの海を制した」と言われるほど繁栄を極めた。
・その面影は、今でも中世の面影を残すリスボンの街並みに見られる。

・ポルトガルのエンリケ航海王子が、アフリカ西岸の探検航海を指揮した後

・1498年ヴァスコ・ダ・ガマによる南アフリカの喜望峰周りのインド航路の開拓
・1500年、ブラジルの発見などを次々と成し遂げ,大航海時代の先駆者となる。

・やがて「東南アジアや中国のマカオ」にも勢力を拡大し,香料貿易を独占して巨万の富を得ることに成功し、16世紀前半のリスボンは,世界最大級の都市にまで発展した。

■共和制と独裁体制から民主化へ

・大航海時代に隆盛を誇ったポルトガルは,同じ時期に商機を求めて新大陸に船を出した「スペイン,イギリス,オランダ」などと植民地競争で激しく争った。

・当時のポルトガル経済は、ブラジルのサトウキビ生産など植民地経営に大きく支えられていた。
・19世紀に入るとブラジルの独立や内政の混乱が続き,さらには産業革命の出遅れも影響して,ポルトガルの国勢は次第に縮小していった。

・弱体化した流れのなかでポルトガルは、1910年に王政を廃止し共和制に移行する。
・その後1933年エスタード・ノーヴォ(新国家)と呼ばれる「独裁体制」が生まれる。

・この独裁政治が第2次世界大戦をはさんで40年以上も続き、国力がさらに衰えていった。

・「最後の植民地帝国」と呼ばれたポルトガルは、ついにすべての植民地を手放すことになった。

・ポルトガルに、民主化の風が吹いたのは1974年左翼軍人らによる無血クーデター(カーネーション革命ですが「時すでに遅し」でした。






        ★「民主化後のポルトガル」  

■EUの中のポルトガル
・ポルトガルは,独裁体制が続いていた頃からNATO(1949年)や国連(1955年)に加盟した。
・革命後は、欧州連合EU(1986年)に加盟して、積極的な姿勢を示し経済の発展を目指した。
 また、米国や欧州諸国との安全保障関係を重視した外交を展開して、国の復興に力をつくした。

■財政再建が目下の課題
・ポルトガルの経済は,現在は輸出入の面でEU諸国に大きく依存している。
・EU加盟直後には,ポルトガルの安価な人件費がフランスやドイツなどの企業進出を誘引したが,旧社会主義圏の東欧諸国が相次いで、EU加盟を果たしたことで,さらに人件費の安い東欧諸国に企業の関心が移り、ポルトガルへのEU諸国の企業進出が減少した。

・こうした事情などから,ポルトガルの失業率は11%(IMF2010年予想値)と高く,また財政状況も厳しくい。
・政府は財政赤字を押さえて、財政再建策に取り組んでい最中である。

■これからのポルトガル (ポルトガル語圏諸国共同体の連携強化)

・ポルトガルの社会経済を支える柱として期待されているのが,ポルトガルと旧植民地7か国から成る「ポルトガル語圏諸国共同体」(CPLP)です。

・人口2億人以上とされるポルトガル語圏諸国間の協力・連携を強めていくことを目的としてCPLPが設立された。この「CPLP」の連合によって,かっての大航海時代の繁栄を再び蘇えさせることを期待しているようです。

・英雄「アフォンソ王」によって建国されたポルトガル、大航海時代スペンインと共に隆盛を誇ったが、その後の産業革命の波に乗れず「独裁政治」による腐敗で国力は低下し、いまは財政再建策に取り組んでいる。

ポルトガルは非常に親日的な国です。同じイベリア人のスペインとは違います。作家「檀一雄」がこの国の漁村で暮らした意味がわかります。ポルトガルとはそんな国です。

(日本 外務省資料から)   
2019/02/28 (記) Ouxito 

  


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