★日本の風景 - 根室という街 -


・根室には、花咲カニや秋刀魚・日本最東端の納沙布岬などの観光資源がある。
 しかし、この町に積極的に興味を持っている人は少ない。

・恒例の8月末の「根室かに祭り」でも、観光客は1万2千人ほどです。
・それは、根室は北海道でも交通の便が悪く、遠い場所にあるからです。

・札幌から釧路までは、特急「おおぞら」がある。
 その先の根室へは、片道2時間半の快速「ノサップ」が1本しか走っていません。

・車で「阿寒湖・摩周湖・屈斜路湖・釧路」を観光した旅人は、
 ほとんどが、知床半島へ向い、興味が無ければ、釧路から約120㎞先の根室まで足を伸ばさない。

・忙しい現代社会から忘れ去られようとしている町が「根室」です。

・根室市の人口は、22,637人(2024年)です。 *ピーク期は、49,892人(1968年)

・主産業は、漁業と水産加工業が全体の41%を占めている魚業の町です。

・市の予算は、252億円(2024年) うち地方交付税が約25%を占めています。

・子供の出生数は年間で約110人、高齢者割合は36%。
少子化と高齢化が進み、若者も流出する過疎化が進行中です。

・「地方再生・地方再生」と政治家は騒いでいます。
・政治家が出来るのは、地方交付金だけを増やすだけ、何の解決策も打てない無能さです。

・少子高齢化と人口減少が進む日本社会。地方の過疎化対策は手の打ちようがないようです。

・バランスの取れた人口構成と産業の多様化が地方でも必要ですが、
 過疎化が進む根室市を調べてみると、まさに将来の日本の姿が見えてきます。


・根室半島は、日本の最東端の半島です。

・日の出は、早い季節では午前3時半から明るくなり、
 納沙布岬では、元旦になると「日本一早い初日の出」が昇ります。

・根室半島の地形は、台地状、あるいは丘陵性の地形です。
 山岳や大きな河川はなく、東西約30km、南北約8km の平坦な波状性の台地です。

・根室市は、半島のほぼ中央に位置し、地形には高低差があるため街路は緩やかな坂の街です。

・根室の気候は、秋から冬にかけて晴天が多く、あまり雪が降りません。
・この時期は、満天の星空がよく出現します。
・小さな街の大きな星空ですが余り知られていません。

・根室の冬の寒さは厳しく、すべてが「シバレル」という状態が続きます。

・冬の根室半島は、オホーツク海側の北側と太平洋の南側はでは大きな差があります。
・北のオホーツク海側は、流氷が接岸して港は閉鎖し船舶は陸に上がります。
・反対に南側の太平洋側の海は、流氷はなく船舶は航行ができます。
・たった幅8㎞の差で、暮らし方は大きく変わります。

・春から夏は濃霧が発生し、一寸先が見えないことも多いです。
 この濃霧を地元では「ガス」と呼んでいます。

・近年は、地球温暖化の影響で、海に囲まれた根室の冬の気候も変化し、
 北海道の中では、比較的暖かく穏やかな気候となったようです。

・根室を小説で紹介した小説家は何人かいる。

・高見順   「いやな感じ」
・南部きみ子 「流氷の街 」
・火野葦平  「氷と霧  」 など。

・彼らは、根室を「辺境の地で、濃霧と流氷と厳しい人々の生活」と紹介している。

・この辺境の地「根室」に住み、根室を紹介し続けた小説家に『中沢茂』がいる。

・彼の作品には「褐色の春」「青空」「小さな町の大きな夜空」「紙飛行機」などがあるが、
 いまはほとんど読まれていない。その「本」も手に入らない。

・中沢茂は、根室をこう紹介している。
・「雨の日は案外に野原は明るい。道と前景の丘に、そこだけ横降りの白い雨脚が見え、空は切れ目のないおおまかな濃淡一色の鼠色にけぶっている。

・丘裾の谷地から湧いた霧が、丘の胸より高くは上がらず、その高さのままで谷間から谷間の狭間を選って、煙を吹き上げるように流れている。」と『褐色の春』で根室の春を紹介している。

・この情景は、やはり根室で生活をした者のしか書けない文です。

『人は、どのような環境下でも生きていく力強さを持っている。』

・厳しい自然の中で生活をした者の気性は荒く忍耐強い。
 しかし心は、温情で素朴でもある。助け合って生きていかなくてはならないので絆も強い。

・根室の人々は、昔の縄文人的な気質の人々と言えるのかもしれない。


・根室の秋の星空は、冷気の中に浮かび上がり「満天の星空」をいまでも見せてくれる。

・この日本の最東端根室に和人が入植したのは新しい。

・明治2年(1869年) 開拓使の松本十郎が130余名の開拓移民を連れて根室にやってきて、根室に開拓使役所を置いた。
・その後、屯田兵の大量入植が行われ、根室は北海道東部の最大の町となる。

・人々は、周辺海域で採れる、大量の昆布、鱒の海産物で生計を立てはじめた。

・しかし、この地域には、古くから先住民族が暮らしていた。
・先住民族は、古い時代は「続縄文人やオホーツク人」が暮らし、
 鎌倉時代からは「アイヌ人」が定住していた。

・江戸時代の1754年に「高田屋嘉平衛」が、松前と国後・納沙布の航路を開き、松前に大量の海産物やアイヌ人達の毛皮を運んで財を蓄えた。

・やがて、国後島・択捉島の開拓も始まり、探検家「最上徳内・松浦武四郎・間宮林蔵」などの探検家が北方の島々を訪れた。

・その後、松前藩は北海道各地の貿易と漁業を商人達に請け負わせて税を徴収した財政を潤した。

・松前藩や悪質な商人たちは、アイヌ人を酷使し、やりたい放題の事をやった。

・やがて弾圧や圧政を受け続けたアイヌ人達は、道内各地でアイヌ民族の蜂起を起こし戦いが始まった。

・根室でも、1789年「クナシリ・メシアの戦い」が起こり、和人71名、アイヌ人37名が犠牲になった。

・1972年、ロシア公使の「アダム・ラクスマン」が、漂流民の「大黒屋光太郎3名」の案内で根室港にやってきてロシアとの交易を求めた。

・鎖国政策をとっていた江戸幕府は、これに驚き「根室」が歴史の表舞台に登場していった。


・水産加工業の街ですが、不振が続き、さらに少子高齢化が進み、人々は静かに暮らしています。

・しかし自然は豊かであり、北海道の中でも太古からの豊かな自然が今なお現存している地域です。

・年寄りには、ここへの移住は厳しいのですが、
 物質的な賑やかさを求めない元気な若者には、ここはとても魅力ある地域です。

・漁業でも酪農でも、また新しい技術を駆逐した新ビジネスも可能な地域です。

・秋の一夜には、満天の星空がこの街の天井に広がります。
・食べ物も豊かでおいしく、大自然の中でゆったり静かに時間が流れていく街です。

日本で、最後に残された自然豊かな土地かもしれません。



花咲カニ販売

冬の氷下魚

秋の鮭の水揚げ

鮭の保存

秋刀魚の水揚げ

秋刀魚焼き

北の誉酒造所

 

焼き鳥弁当




・北方四島の「国後島・択捉島・色丹島・歯舞諸島」を旧ソ連に不法占領されて80年近くになります。
・日本の子ども達は、北方四島はロシアの領土と思っているようです。

・北方四島の良好な漁場を失い、日本の水産業は衰退する一方です。
・その水産業に依存してきた根室も衰退し続けています。

・しかし、根室には、もう一つの豊かな資源があります。
・根室の陸地は、ほとんど平坦な平地で「牧畜」に適しています。
・以前は、厳しい冬の気候で牧畜には厳しい面もありました。

・しかし地球の温暖化で、根室半島からは昔の冬の厳しさが遠のいています。

・今後は、ニュジーランド国の気候と変わらな気候区となります。
・ここを一大近代酪農地にすることは、今の技術では可能です。

・広い草原を有効に活用して「半放牧による低コストな畜産(酪農、肉牛、羊、鹿)と
 地域にあった果樹栽培と野菜栽培」が可能になれば地域経済は回復します。

・若者を教育し育て、定住させることで子供たちも増え、地域関連産業も発展します。

・地方再生とは、このようなプロジェクトを再生させることではないのかと夢をいだいています。

2024/09/20 (記)      



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