★日本の風景 - 函館本線と連絡船 -

動画制作:Ouxito 



・函館駅と旭川駅を結ぶ、423.1kmの北海道鉄道の基幹線です。

・明治13年(1880年) 小樽-札幌間が開業したあと、北海道の鉄道は飛躍的に発展を続けました。

・基幹線は、他に根室本線や宗谷本線があります。
・函館本線には、本線と支線の路線があり、大沼駅 - 渡島砂原駅 - 森間駅を結ぶ35.3kmの路線が支線です。

●函館本線と根室本線は、広大な北海道の大地を東西に結んで長い間、北海道鉄道輸送の大動脈として石炭・木材と人々を運び、北海道経済を支えてきました。

・しかし、今は採算がとれない支線路線も多くあり、その役割を終えて廃線の運命にあります。

・函館本線も、2030年に函館-札幌間に新幹線が開業すると、長万部-小樽間の函館本線は、廃線となることが決まりました。

・残せという意見や、やむを得ないと言う意見も有ります。
・残しても採算がとれなければ意味はなく、また廃線をすると先人達が苦労して築いた遺産を失うことになります。この選択が大変難しいです。

・鉄道には、人や物を運ぶという役割があります。
 鉄道は、大量に物を運ぶことが出来ます。環境にも車より優しい交通手段です。

・人が運べなくなったら、物を運べば良いと思いますが、どのように運ぶのかが課題です。
・ぜひ、利点を生かした「物流輸送システム」を構築して、存続してもらいたいと願っています。


・70年ほど前の昔は、北海道には移動手段は鉄道しかなく、函館本線には、多くの蒸気機関車が走っていた。

・幼いとき、駅で見た蒸気機関車D51の車輪の大きさに圧倒された記憶があります。

・高校の修学旅行でも、倶知安経由の函館本線の特急を利用して東京旅行をした思い出があるし、

・20歳で上京するとき、倶知安経由の特急列車「北斗」に乗って故郷を後にし、
 函館駅の連絡船「大雪丸」に乗り換え、津軽海峡を渡って東京に向かった。

・私にとって、函館本線は、思い出が多く懐かしい路線です。

●やがて、航空機時代になり、北海道に渡るときは、鉄道より飛行機で渡り、しだいに函館本線とは疎遠になっていきました。

・令和元年4月、私用で北海道にいた私は、懐かしい「函館本線」で、東京に戻ることにした。
・帰京ルートは、「小樽→倶知安→長万部→函館北斗(新幹線)→新青森」です。

・小樽-函館間の倶知安経由の山手線は、今は「ローカル線」と化していて、倶知安駅と長万部駅で乗換なければ函館には着けません。

・残念ですが時間も、昔と比べ約2倍以上かかります。

・倶知安駅を通るときは、啄木の「夜中の倶知安駅に下りゆきし 女の鬢(びん)の 古き痍(きず)あと」の詩を思い出します。

・啄木は明治40年9月、 函館発19時、小樽着午前4時の函館本線に乗って、真夜中の倶知安駅でみた場景を詩(一握の砂)に残したものです。

・眠るでもなくぼんやりとした意識の中で、車窓から見る駅は人影も少なく、静まり返った汽車から一人の女が下りてゆく姿が目にとまります。
・ふと見上げると、髪のほつれに見え隠れした傷が見えて、どうしてあんなところに傷をつけてしまったのだろうかと思い、職を求めて放浪する自分の姿と重ねたのではないかと思います。


★日本の風景 - 函館連絡船の風景 -

You Tube 動画より 


2019/07/13 搭載

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