・フイリピン戦線 音で読む1
■・なぜ、フィリピン戦線を取り上げたのか。
・太平洋戦争で日本は、310万人(軍人230万人、民間人80万人)の戦死者を出した。
・その多くは、戦争末期に集中している。
・戦死者のほとんどは戦闘での「名誉の戦死」ではない。
・食料の不足による餓死・病死・海没死(30万人以上)などの「無念な戦死」である。
・戦わずして死んだ英霊たちである。
・学校の教科書では、激戦地「沖縄戦」は記載しているが、
・戦わずして戦死したフィリピンの英霊たちについては書かれていない。
・フィリピン戦線は、日本軍とフィリピン住民を合わせると160万人以上の死者をだした、
・太平洋戦争「最大の激戦地」である。
・しかし、この悲劇の「フィリピン戦線」については、日本人は知らない人が多い。
◎フィリピン戦線の多くの兵士は、飢えに苦しみ、マラリアに侵されて死んだ兵士たちである。
★むずかしい漢字1
戦闘 | 餓死 | 名誉 | 海没死 | 記載 | 激戦地 | 侵される | |
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せんとう | がし | めいよ | かいぼつし | きさい | げきせんち | おかされる |
フィリピン戦線 日本軍によるフィリピン侵攻
・フイリピン戦線 音で読む2
■・米国からの独立を控えていたフィリピンに、日本軍は侵攻した。
・1941年12月22日~24日、「本間雅晴」中将、率いる日本軍が、ルソン島に進攻した。
・その目的は、南方の石油と資源を日本に運ぶ、海上輸送路の基地を確保するためである。
・当時フィリピンは、米国の植民地で、「ダグラスーマッカーサー」率いる米軍とフィリピン国防軍がいた。
・日本軍は侵攻にあたり、マニラ郊外のクラーク飛行場やマニラ湾の米軍艦船を空爆して、米軍の戦闘勢力を半減させた。
・マニラのマッカーサーは、抵抗を試みることなく、「バターン半島へと撤退」した。
・1942年1月2日、日本軍は、首都マニラに無血で入城した。
・しかし、フィリピンは1946年に米国から独立を控えていた。
・念願の独立は、日本軍の侵攻により白紙に戻ってしまった。
・日本軍はその為、フィリピン住民の反感をかい、住民たちがゲリラとなり抗日闘争が始まった。
・米軍・フィリピン国防軍・市民ゲリラ(ユサッフェ)の抵抗と、日本軍は戦うことになり、その戦闘は鳴り止むことがなかった。
★むずかしい漢字2
本間雅晴 | 中将 | 率いる | 撤退 | 念願 | 侵攻 | 反感 | 抗日活動 | |
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ほんまやすはる | ちゅうじょう | しきいる | てったい | ねんがん | しんこう | はんかん | こうにちかつどう |
フィリピン戦線 パターン半島 「死の行軍」
・フイリピン戦線 音で読む3
■・パターン半島の攻防。
・激しい戦闘が繰り広げられた。
・日本軍に追い詰められた米軍とフィリピン軍はマニラ湾のパターン半島に立てこもった。
・バターン半島は、マニラ湾に面した長さ約50㎞、幅30㎞のジャングルと山岳の半島です。
・日本軍は、この半島へ猛攻撃で侵攻したが、その攻撃は困難を極めた。
・長引く戦闘に、日本軍は兵力を増強して、陸軍始まって以来の大集中砲火を行い、ついにバターン半島を陥落させた。
・半島の先端にある「コレヒドール要塞」にいたマッカーサーは、
・夜半オーストラリアへ逃亡して、ついに米軍が降伏した。
・実に5ヶ月以上の長く激しい戦闘でした。
・オーストラリアの記者を前に、マッカーサーは「アイ シャル リターン」の言葉を叫び、再びフィリピンに戻ることを誓った。
・その後、フィリピン総司令官「本間雅晴」中将は、長引いたバターン半島作戦の責任をとらされフィリピン作戦から解任された。
・パターン半島制圧後に、日本軍に予想外の事態が起こった。
・半島の各地から降伏してきた米兵・フィリピン国防兵・市民など捕虜の数が8万人にものぼった。
・日本軍には、捕虜を収容する施設も食料もなく、80㎞は離れた「サン・フェルナンド」の施設まで歩かせた。
・これが「パターン死の行軍」です。
・南国フィリピンの灼熱の炎天下、水も食料もなく、歩く途中で「捕虜」たちは、次々に倒れ1万7000人以上が死にました。
・敗戦後、本間雅晴中将は、部下の計画した「パターン死の行軍」の責任を問われ、マニラ裁判で銃殺刑を受けた。
■・コレヒドール要塞へ侵攻する日本軍
★むずかしい漢字3
追い詰め | 比軍 | 困難 | 極めた | 集中砲火 | 陥落 | 要塞 | 降伏 | 銃殺刑 |
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おいつめ | ひぐん | こんなん | きわめた | しゅうちゅうほうか | かんらく | ようさい | こうふく | じゅうさつけい |
フィリピン戦線 それから二年後「米軍の反撃」が始まる
・フイリピン戦線 音で読む4
■・レイテ島決戦。
・1942年6月4日ミッドウェー海戦で大敗をした日本軍は、南西太平洋の島々を米軍に攻撃され占領されていった。
・1944年10月22日 マッカーサー率いる米軍は、レイテ島に上陸した。
・日本軍は、9万人以上の兵力をレイテ島に送り込み、海軍は、軍艦を総動員してレイテ湾に向かわせた。
・途中で、海軍は巨艦「武蔵」を失い。レイテ湾には到着出来なかった。
・海上からの応援もない日本軍9万人は、20万の米軍に抵抗したが、8万に近い兵士が玉砕をした。
・これが「レイテ決戦」です。
・この決戦で初めて「神風特別攻撃隊」が結成されて、多くの特攻機がフィリピンの基地から飛び立っています。
・この「レイテ決戦」の日本軍の敗北で、フィリピン戦線の勝敗は決まった。
■・ルソン島の戦い。
・1945年1月9日 米軍は、ルソン島のリンガル湾に上陸した。
・日本軍25万人は。ルソン島での決戦を決意し、生きている限り戦うという「永久決戦」を選択した。
・各師団は、ルソン島の各地に散らばり、米軍に対するゲリラ戦を繰り広げた。
・しかし、制空権を奪われ、海上輸送航路も絶たれた日本軍は、弾薬も食料も乏しく、サクラサク峠やバレテ峠の戦いで敗北して、さらに奥地へと追い込まれていった。
・ルソン島の山岳に追い込まれた日本兵は、飢えとマラリヤに襲われ、さらに米軍の攻撃にさらされながら多くの命を失っていった。その数21万人である。
★むずかしい漢字4
大敗 | 占領 | 巨艦 | 武蔵 | 神風特別攻撃隊 | 勝敗 | 永久決戦 | 制空権 | 敗退 |
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たいはい | せんりょう | きょかん | むさし | しんぷうとくべつこうげきたい | しょうはい | えいきゅうけっせん | せいくうけん | はいたい |
・フイリピン戦線 音で読む5
■・マニラ市民の悲劇。
・ルソン島の戦いが始まる前「山下泰文」総司令官は、マニラ撤退を命じていた。
・しかし、海軍陸戦隊は、この命令を無視してマニラに立てこもった。
・これに対し米軍は、マニラ市街に無差別攻撃をかけた。
・マニラ市内は、この無差別攻撃によって"がれき"の山とかした。
・日本海軍、陸戦隊2万は、狭い地域に追い詰められて全滅した。
・このマニラ市外戦で、市民10万人が犠牲になり、中には日本軍の虐殺による市民も数多くいた。
・マニラ国立美術館の大きな部屋1室には、この日本軍の蛮行を絵で記録し残している。
・私は、それらの絵を静視することはできなかった。
・日本人としてではなく、人間としての恥を感じた。
・フィリピンの人々の怒りが、70年もたったいまも感じる。
・このHPは、ジュニア用なのでその絵画を紹介することはできない。
★むずかしい漢字5
悲劇 | 撤退 | 山下泰文 | 無差別攻撃 | 狭い | 犠牲 | 虐殺 | 蛮行 | 静視 |
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ひげき | てったい | やましたともゆき | むさべつこうげき | せまい | ぎせい | ぎゃくさつ | ばんこう | せいし |
・フイリピン戦線 音で読む6
■・終 戦
・8月15日 日本の敗戦の情報を知った司令部は、各部隊に伝令をした。
・しかし、山中に散らばった日本兵すべてには伝わらなかった。
・その後も、悲惨な戦いは続いた。
・レイテ沖海戦で連合艦隊が壊滅し、日本軍は完全に補給を断たれ、
・レイテ島10万、ルソン島25万の日本兵はフィリピンに取り残されて戦った。
・その後は、ジャングルをさまよいながら散発的なゲリラ戦闘を続ける戦いだけとなった。
・1945年6月までの戦闘で、日本兵の主力部隊は壊滅した。
・9月3日 山下奉文総司令官は、バギオ市内で米軍の降伏文書に署名した。
・ここに、悲惨なフィリピン戦争は、幕を閉じた。
◎このフィリピン戦線の戦死者は、
・日本軍がアジアや太平洋戦争で戦った全戦線において最も多い戦死者を出した。
・その多くは、餓死とマラリアによる死亡である。
・極度の飢餓や病魔のため、日本軍の統制は崩壊して秩序なき戦いが続けられた。
・各兵は、各自食糧を求めてさまよい畑の芋を巡って争いあい、
・一部には人肉食にいたるなどした悲惨な戦いと死であった。
・この悲惨なフイリピン戦線を日本人はけして忘れてはならない。
★むずかしい漢字6
伝令 | 大将 | 降伏文書 | 署名 | 壊滅 | 散発的 | 餓死 | 崩壊 | 芋 | 悲惨 |
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でんれい | たいしょう | こうふくぶんしょ | しょめい | かいめつ | さんぱつてき | がし | ほうかい | いも | ひさん |
・フイリピン戦線 音で読む7
■・終戦後のさらなる悲劇。
・戦争が終わり、米軍はフィリピンにいた日本人の財産を没収し、日本人を日本へ強制送還させた。
・強制送還の中には、古い昔からフィリピンに移民をしていた日本人の子孫たちも含まれていた。
・彼らの多くは、フィリピン人と結婚し「日系人社会」を形成していた。
・スペイン植民地時代には、北ルソン島に日本人の貿易商人たちがいた。
・江戸時代には、キリスト教の迫害を逃れたカトリック教徒の貿易商人も移住していた。
・さらに、19世紀後半から20世紀前半にかけた日本政府の「移民政策」で、
・沖縄の人々を中心に多くの日本人がフィリピンに移住して暮らしていた。
・ルソン島のバギオやミンダナオ島のダバオは、大規模な「日系人社会」の街があった。
・そのほか、マニラやビサヤ諸島など、日系人の総人口は10万人~20万人と推測されている。
・米軍による強制送還で、現地に残されたフィリピン人の母親とその日系人の子供たちは、
・戦後の反日感情が強いフィリピン社会で暮らすことになり、厳しい生活を余儀なくされた。
・中には、身の安全を求めて一家で山深い山中に逃げ込み、息を潜めて暮らす者もいた。
・フィリピン人の母親は、日本人の夫との婚姻証明書を破棄し、日系2世たちの子供たちは、
・日本名をフィリピン名に改名して、フィリピン人としてかろうじて生きのびた。
・多くの日系人家族は、子供たちが教育を受けることもなく、フィリピンの貧困層に属して暮らした。
・また、日本人の夫を失った1世の妻たちも、その多くは生活のために再婚した。
・一方、中には日本人の夫の帰りをずっと待ち続けた妻たちもいた。
・年頃の日系2世の女性は、フィリピン人や中国人と結婚することで迫害をまぬがれる道を選んだ者もいる。
・~それから30年~
・反日感情が和らいだフィリピンで、無国籍状態に置かれていたフィリピン残留孤児(日系2世)たちは、やっと日本国籍を求めて集まりだした。
・ルソン島バギオでは「シスター海野」の活躍で、山中からでできた日系人も多かった。
・2018年、外務省の調査で3,810人の日系2世たちが日本人であると確認された。
・そのうち1,210人は日本国籍を回復したが、1,531人は、その確認が終わる前に死亡した。
・現在、893人の確認作業が終わっていない。
・この日本国籍の回復作業には、
・日本のNPO法人「リーガル・サポートセンター」(PNKSC)が、現在も努力している。
◎戦争は多くの傷跡を残す。人の心の傷は長い時間をかけても取り除けない。
★むずかしい漢字7
没収 | 強制送還 | 迫害 | 移民政策 | 日系人 | 推測 | 余儀 | 婚姻証明書 | 破棄 | 無国籍 |
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ぼっしゅう | きょうせいそうかん | はくがい | いみんせいさく | にっけいじん | すいそく | よぎ | こんいんしょうめいしょ | はき | むこくせき |
2020/04/26(記) Ouxito