スペイン情報 ★スペインの歴史
➰スペインの歴史(古代) -ローマ・ゲルマン・ムーア人の支配-
■イベラル半島の各地から古代遺跡が発見されている。
・北部のアルタミラ洞窟では、紀元前1万5000年~1万年前の壁画が描かれてある。
・南部ではフェニキア人が紀元前1000年頃に海岸沿いに貿易都市を築いていた。
・紀元前3世紀は、ローマ人がイベリア半島の東海岸と南部を制圧した。
ローマ人はイベリア半島を「イスパニア」と呼びイベリア半島全域を
その後支配した。
・ローマの法律・言語・慣習とキリスト教をこの地に根付かせた。
■5世紀にはゲルマン民族がピレネー山脈を越えて侵入してきた。
・その後約300年間、ローマ人に変わりイベリア半島を支配した。
■8世紀にはアフリカの「ムーア人」が海峡を渡り侵入し、
西コード帝国(ゲルマン人)は崩壊した。その後、約500年
ムーア人(イスラム教徒)よるイベリア半島支配が続く。
・ムーア人は、南部に都市を建設しイスラムの装飾を用いたモスクや
巨大な宮殿や城壁など建設してイスラム文化を定着させた。
・北部海岸沿いのムーア人の影響が少ない地域では、
西コード人(ゲルマン人の兵士)やバスク人
キリスト教徒などが住み生活をした。
➰スペインの歴史(中世) 国土回復運動(レコンキスタ)と大航海時代-
■8世紀のムーア支配から国土をとりもどそうと
北部スペインの人々はすぐに行動を起した。
・キリスト教徒が中心になって起こしたこの運動が
国土回復運動(レコンキスタ)である。
・10世紀には北部に幾つかの王国が生まれ
国土回復運動も続けられた。
・15世紀カスティーリャ・レオン王国の女王となった
「イザベル」は、アンゴラ王国のフェルナンド2世と結婚し
北部王国は、統一されヨーロッパ第2の強い王国が誕生した。
・女王「イザベル」は領土の拡大とキリスト教の普及に努め、
1492年ムーア人の最後の都市「グラナダ」を征服し
スペインは、イザベルとキリスト教徒によって統一された。
■グラナダ征服後、イザベルは海外進出を進め
北米・南米の新大陸を発見。
・スペイン帝国は新大陸から巨大な富と金銀財宝を入手し
植民地を築き上げた。大航海時代を経て
「太陽の没することなきスペイン大帝国」が誕生した。
・イザベル(1504)・フェルナンド(1516)が没すると、
王位は孫の「カルロス」に継がれたが
・カルロスは「神聖ローマ帝国の皇帝」にもなり、
国王はスペイン国内には住むことが少なく
その為、貴族による権力闘争が起こり反乱が続き
国王の権力は、しだいに弱体化していった。
◎16世紀後半からは、スペインは戦乱の連続であった。
イギリス・オーストリアの戦いで敗北し、
イギリスに⇒「ジブラルタル」を
オーストリアに⇒「オランダ・北イタリア半島」を譲渡し
新大陸の貿易特権も⇒ヨーロッパ諸国に開放した。
➰スペインの歴史(近世) -スペイン黄金時代の終わり-
■19世紀初めフランスのナポレオンはスペインを占領して、
兄のジョゼフにスペイン国王を渡した。
・ナポレオンの死後スペインの革命家(コルテス)達は、
半島からフランスを撤退させスペイン王位を再び
ブルボン王朝の継承者に戻したが後継者問題でまた
内乱が起きた。
・1898年にはカリブ海植民地で「米西戦争」が勃発した
スペインはこの戦争でアメリに敗北した。
・この敗北でアメリカに⇒カリブ海諸島とフィリピンを
譲渡した。
・20世紀始めスペイン王国は貧しくそして弱体化していた。
・国内の政治不安は続き、軍部のクーデターも起こり、国王アルフォンソ13世は国外へ亡命した。
・1931年「スペイン共和国」が誕生する。
■イベリア半島はその位置から、諸民族攻防の舞台となった。
・長い年月をかけ、他民族より国土を取り戻したスペイン王国は
「黄金の時代」を迎えたが権力闘争のため国力は弱体化していった。
・スペインの歴史は複雑であるが、この国の歴史から学ぶ所は多い。
・われわれは国民全体が協力し団決して国家を維持しなくてはならないということを学んだ。
・また特権階級だけに富が集中する格差社会が国を滅ぼすということも教訓として学んだ。
■スペインの歴史で忘れてはならないことがもう1つある。
・フランコ将軍が1936年に起こした武装蜂起による「スペイン市民戦争」である。
・3年間の戦争でスペインは破壊しつくされ、戦争で60万人、40万人が処刑された。
・フランコ独裁政権下(1939-1975年)で、スペイン人の多くは市民権や参政権を奪われ、
100万人以上が国外へ逃亡した。
・この戦争は、スペイン人同士の内戦である。このことも忘れてはならない。
2019/03/30 (記) Ouxito