カンボジア情報     「★アンコール・ワット」 

■ヒンドー教の神に捧げる寺院
・アンコールワットは、スールヤヴァルマン2世(1113年即位~1150年頃没)によって建設され
 た寺院である。
・寺院建設に、30年余りの年月を費やして完成させた。
・周囲を幅広い環濠で囲み3重の回廊が造られ、中央部に本殿が建てられた。
・ヒンドー教の神、ヴィシュヌに捧げる寺院であり王の墳墓でもあった。
・寺院は外周を幅広い濠で囲まれ、西参道入口から中央神殿までは700mある。
・西塔門の両翼には「象の門」があり、象に乗ったまま入る。
・中央寺院寺院回廊の壁面は、天地創造の神話などの浮彫で埋め尽くされている。
・アンコールは、クメール人住民と戦争捕虜の労働で建造寺院である。

■忘れられた文明
・不幸な事に、その遺跡の存在は、現地の人々からは忘れられていた。
・隣国のベトナムとシャム(タイの旧称)との戦争に連敗し、カンボジアは民族の存亡すら危ぶま
 れていたのだ。
・18世紀末から、アンコール遺跡地域はシャム領となり、遺跡のほとんどは密林に埋もれてし
 まっていた。
・アンコールワットだけが、仏教寺院に衣替えして近隣の住民に崇められていた。

■フランス人学者アンリ・ムオー
・1860年1月フランス人博物学者アンリ・ムオーは、アンコール遺跡を観察し、多数のスケッチ
 を行った。ムオーのアンコール遺跡探訪記は、世界中の注目を集めた。
・多数の堂塔、回廊でつながれた大伽藍(だいがらん)が、カンボジアの密林の奥深くに眠って
 いる。壁は崩れ、倒壊の危機にさらされているようではあったが、壁面には精巧な浮彫が施さ
 れ、かつての栄華を今に伝えていた。人々は、失われた大文明を発見したのである。

■碑文以外、文字による記録がない
・アンコール遺跡群の壮大さが明らかになるにつれて、当初、アンコール遺跡はカンボジア人と
 は異なる民族によって建造されたものだと信じられた。
・しかし、現在では残された碑文が解読され、それらの遺跡がカンボジアの人々によって建造さ
 れた事がわかった。


アンコールワット スナップ

2019/04/12 (記) Ouxito   

  


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