-縄文人3の音声-

・縄文人たちは未開で未発達な人々と思っている人が多い。それは日本人の土台となった縄文人のことを学校教育では、ほとんど教えてこなかったからである。

・北海道の先住民族は「アイヌ民族」と勘違いしていた私は、あらためて「縄文人」について調べ、己の浅学(せんがく)を認識した。

・日本の縄文文化は、1万年以上の歴史がある。

・非常に長い間続いていたが、それは停滞でも未発達でもなく、優れた技術や豊かな精神世界を持ち、成熟した社会であった。


・平均寿命   30歳前後
・平均身長  男性:約150㎝   女性:約140㎝

・女性は、16-17歳頃から子どもを産み、生涯で5-7人ほどの、子どもを産んだ。
・子どもの生存率は、60%前後らしい。

・半地下形式の竪穴住居(たてあなじゅうきょ)に血族関係で住んでいた。

・集落は、大きくても10-15軒ほど、やはり血族関係でつながっている。

・男性は、山や海で狩猟を行い、女性は、木の実や草の採取を担当していた。

・主食は、くり、どんぐり、あわ、とちの実などで、縄文土器で煮炊きをしていた。

・狩猟採取した食料は、集落全体で分配した。

・衣服は、植物(アサやカラムシ)の繊維を編んで作ったものや、シカなどの動物の皮を利用したりして作っていた。

・土器や土偶と同じ縄文模様を衣服にも描いている。

・装身具で頭から足先まできれいに飾っていた。


・縄文時代は、争いのない平和的な共同社会である。

・縄文時代には、人々が争った戦争の痕跡は見られない。

・農耕社会と違って、国家や都市の成立はなく、大規模な集落でも2-300人程度である。

・余剰生産物が少ないため、富を独占する者もいなく、生産物は、平等に人々に分配されていたと考えられる。

・特別の支配者もいなく奴隷もいない社会である。

・歯のない老婆の遺骨か発見されたが、何と60歳まで生き延びていた。きっとみんなで柔らかくした食べ物を与えていたと思われる。

・日本は、温暖で四季があり、山の幸・海の幸に恵まれ、周りを海に囲まれた自然豊かな島である。

・自然と共生し自然を破壊することなく崇拝し、継続的に活用して共存してきたから、1万年以上の採取狩猟社会を維持できたと思う。


・一方、農耕社会は、巨大国家と支配者を作り出し、自然を破壊して農耕地を広げ、稲作労働者として奴隷を生み出して戦争をくり返してきた。

・それは、一部の特権的権力者のための社会である

・どちらの文明が、すぐれた文明なのかは明らかである。
・しかし、この長い間続いた縄文時代もやがて終わりが来た。




・紀元前4-3世紀頃、北部九州に渡来人(とらいじん)が稲作を持ってやってきた。それも集団でやってきた。

・上陸した北部九州で、稲作を中心とした農耕社会を築いていく。

・なぜ、荒れ狂う海を渡ってきたのだろうか。
・その頃の中国は、約500年間に及ぶ「春秋戦国時代」である。
・おそらく戦いに疲れ、東の楽土をもとめて渡ってきたのではないか。

・やがてこの渡来集団は、その後も何度かに別れてやってきた。仏教と漢字を持ってきた者などもいる。

・渡来集団と縄文人は徐々に同化し、弥生時代の集団を形成していった。

・九州で始まった水田を中心とする弥生人たちは、やがて中国地方、大阪、奈良へと北上していく。

・途中、出会った同化しない縄文人たちとのトラブルは、戦いで解決した。故郷の国で戦い方を学んだ人々である。

・現在、兵庫や大阪の縄文遺跡から鏃(やじり)の刺さった縄文人の遺骨が数多く出土している。

・戦い方を知らない縄文人は、同化するか北へ移動するかして難を逃れはじめた。

・一方、縄文晩期には、遺跡から祭祀の道具や遮光器土偶が数多く産出していることから「祈祷」が行われていた。

・祈りの意味は、南の弥生人からの脅威なのか、または気候の温暖化が進み、狩猟採取経済がうまくいかなくなった、ためかわからない。

・戦いにすぐれた渡来人といってもその数は少ない、弥生人として集団化するには、縄文人が積極的に農耕社会に入っていったと思われる。

・こうして日本は、農耕社会経済を基盤とした弥生時代に移行した。

・やがて奈良に大和朝廷が誕生して国家体制が生まれる。

・水田を中心とする農耕社会は、本州の青森まで到達しそこで留まった。

・津軽海峡の先の「蝦夷地」は、米がとれない島である。

・東北の縄文人たちは、弥生人化するか、北の大地「蝦夷地」に逃れた者も多いはずだ。

・蝦夷地では、その後12世紀頃まで縄文式の狩猟採取生活が行われていた。

・蝦夷地は、日本の先住民族「縄文人たち」の終焉の地であった。




・農耕社会がはじまり世界の4大文明が起こり、その後文明人たちは、資源や富をめぐって激しい武力による争いを繰り返してきた。

・農耕民族のDNAには、トラブルは武力によって解決するという遺伝子が染みついている。

・21世紀の現代も基本的には農耕社会である。
・世界中で、紛争と戦いが絶え間なく続いている。

・さらに人による自然破壊行為が行われ、気候のリズムも地球規模で大きく狂ってきた。
・6月の日本、気温は40℃を超えている。
・もう誰も異常気象といわなくなった。

・縄文人たちは、戦いを好まず自然を崇拝し、自然と共存して生きてきた。その「縄文人たち」の知恵と精神を見習おうではないか。




・縄文時代は、土器の変容で6つに分類している。
  草創期-早期-前期-中期-後期-晩期

草創期=狩猟採取経済だが、定住が始まり小さな集落があらわれた。(青森の大平山元遺跡・・)

・早期=温暖が進み、海岸の集落には貝塚が出現する。(千葉の加曽利貝塚・・)

前 期=円筒土器が沢山作られ、漆を土器や装飾品に活用し、集落の数が増えていく。(関東地方の多くの縄文遺跡)

中 期=大規模な拠点集落が発達し、ヒスイや黒曜石等の交易が各地と盛んになる。(青森の三内丸山遺跡・・)

後 期=大規模な拠点集落は減少し、集落の拡散化や分散化が進み、各地に環状列石が出現した。(青森の小牧野遺跡・・)

晩 期=遮光器土偶や土面など祭祀の道具が多く作られ、装身具類も多様となる。(青森の亀ヶ岡遺跡・・)

  



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