■・日本の最東端、根室半島には、かって根室~歯舞間:15.5㎞の気動車が走っていた。(昭和3年~昭和34年)
・私鉄経営の「根室拓殖鉄道」です。(日本国内史上最東端の鉄道)
・根室在住の市民の方でも、今はこの鉄道のことを知っている人は少ない。
・まして、われわれ日本人は、鉄道マニア以外は、ほとんど知らない鉄道です。
・根室半島といえば、ノサップ岬・北方領土・花咲ガニ程度の知識しか持っていない。
・しかし、この根室半島は歴史上いろいろな物語を持っているおもしろい半島です。


◎ 北の大地の鉄道



■・1928年(昭和3年)に、日ソ漁業条約が締結され、旧日露漁業条約で獲得していた広範な北洋漁業権を日本は継続して保持することが認められた。
・根室港は、北方四島の海産物と北洋漁業の魚類の大集積港として賑あっていた。
・半島の南海岸の歯舞は、昆布の一大生産地で、これを根室港に運ぶのに歯舞の漁民たちは大変苦労していた。
・陸路輸送は、砂地やぬかるみの多い悪路。海路は、岩礁や波が荒く小舟での運送は命がけだった。
・当時、道議員の「小池貞一郎(こいけ ていいちろう)」や歯舞村長「大山久五郎」ら6名は、大正13年、北海道庁に根室、歯舞間の「軽便軌道事業」を申請して昭和2年に許可された。



■・昭和3年5月、根室拓殖軌道会社が、資本金15万円で設立された。
・昭和4年に「根室~歯舞」間が開通した。
・開通は、根室半島の南海岸の漁民からは熱烈に歓迎された。
【根室拓殖軌道資料】
・路線距離:15.5㎞ ・軌間:762㎜ ・全線単線 ・駅数5カ所
・1日の旅客3~4往復 ・所要時間60分 ・ 運行速度10㎞
・蒸気機関車2両 ・客車2両 貨物車7両で開業 (すべて中古動車)
・初期は、蒸気機関車による運行もあったが、後に気動車を導入する。
・簡易的な工法で敷設された軌道は、非常に不安定かつ虚弱で脱線が日常的に起っていた。
・復旧のために時間が延びることも多かったようだ。(技術力不足の時代)
・しかし、沿線住民にとっては大切な鉄道で、通学や生活物資の買い物客で乗客は、いつも満員であった。








■・昭和34年9月「根室拓殖鉄道」は全線を廃止した。
・日本最東端に敷設されたこの鉄道は、酷寒と積雪、塩害と軟弱土壌の脆弱な路線のため、その維持管理費に赤字を出していた。
・敗戦後の昭和23年以降は、歯舞村有志に経営が移行し、昭和34年に歯舞村が根室市に合併することを受けて、鉄道を廃止し、根室~歯舞間はバス路線に変更した。
・昭和32年の会社概況 (交通年鑑)
・資本金 250万円
・客車3両・貨車7両
・従業員 14名
・営業収入 約870万円 (運賃収入 約670万円)
・営業費 約981万円 約110万の赤字
・昭和36年(1961年)、根室拓殖鉄道は「根室交通(バス会社)」に吸収されて、いまは現存していない。
・根室拓殖鉄道は、日本最東端の鉄道路線である事と日本の鉄道ファンの間では、伝説の鉄道路線として=「ネムタク」と呼ばれ今もなお語り継がれているようだ。
・その理由は、この鉄道を走ったユニークな車両たちです。
・蒸気機関車から気動車に至るまで、どれもこれも「珍車」ばかりだったのだ。
・また、その運行も妙なエピソードにことかかなかった。
・路盤状態の悪さのせいで、脱線は日常茶飯事。
・いざと言うときのため、気動車には修復用の枕木やレールが備え付けられていた。
・脱線すると乗客も総出で復旧作業。
・あまりに脱線が多すぎて、乗客も完全に慣れていた。
・それでも復旧できなかった場合、運転手はわざわざ根室にある本社まで歩いていかなければならなかった。当然列車は運休です。
・逆に夏場は暖かく乗客も少ないので運転手が暇で眠くなり、実際のダイヤよりも数十分早く目的地に着いてしまった事もあった。
・たまに連結器が外れて貨車が置いてけぼりを食らう事があり、その対策として連結器を紐で縛ったという。
・ラッセル車がすぐに壊れてしまったので、雪かきは機関車を突っ込んで雪をぶち破る方法で行っていたとも言われている。
・なんとも、のんびりとした風景です。
・いろいろと珍エピソードが多いこの鉄道だが、地元からは廃止されるまで、ずっと愛され続けて走っていた。






165 0 2