イラク情報    「 ★サダム・フセインの戦争」 

制作:Ouxito 


  

 イラク情報  「★サダム・フセインの戦争」



■・1979年7月にサダム・フセインは、イラク大統領に就任してから、戦争を続けイラク共和国を混乱させました。

・そのつまずきは、1980年から始めた「イラン・イラク戦争」でした。

・この戦争は、短期間で勝利すると確信していたサダム・フセインにとっては誤算で8年間も続きました。

・チグリス川とユーフラテス川は、河口で合流して「シャトルアラブ川」としてペルシャ湾に流れます。

・このシャトルアラブ川は、昔からイランとイラクの領土紛争の場所でした。

・1975年、フセインが副大統領の時、紛争が続いていたこの場所をイランと話し合い国境線を結び、フセインは紛争を解決しました。(アルジェ協定)

・にもかかわらず、なぜ自ら結んだ協定を破り、シャトルアラブ川の領土を奪還するといって「イラン・イラク戦争」を始めたのでしょうか。

・そこには、イギリスとアメリカの中東政策が、かかわっています。
・中東の石油は、
・戦前はイギリスが独占、戦後はアメリカも加わって中東から安い石油を入手していました。

・その中東で、大きな変化が起こります。
・それが、1978年の「イラン革命」です。

・サダムフセインの戦争は、この「イラン革命」について知らなければ、理解ができません。

 イラク情報  「★イラン革命」

  


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