★中3国語 (光村図書)    - 高瀬舟 -  森鴎外    P80-91

◆新潮カセットブック(-高瀬舟-から) 

高瀬舟について
・高瀬舟』は、森鴎外の晩年の作品
  (54才の時、大正5年(1916)1月に『中央公論』紙上で発表した作品)
・この作品は、江戸時代の『翁草(おきなぐさ)の流人の話』をもとに
 書かれている。

1.いつ頃の話か
・江戸時代の寛政の頃と書かれているので、
 江戸中期の1787-1793頃の話と思われる。
 *白河楽翁とは、松平 定信(まつだいら さだのぶ)のこと

2.物語の場所は
・京都を流れる「高瀬川」で、この川はやがて宇治川と結び
 大阪につながる。
・京都では、小舟の「高瀬舟」が上下している川なので「高瀬川」と呼ばれていた。
・知恩院の桜が散る頃の春の夕べどき
 高瀬川の高瀬舟の船上での話である。

3.登場人物
・同心の(羽田庄兵衛)と住所不定の弟と殺しで遠島を申し渡された
 30才前後の(喜助)の二人
 *同心とは・・昔の警察官のこと
 *遠島とは・・島流しの刑 江戸幕府では
        東国では八丈島等の伊豆七島と佐渡島
        西国では天草諸島や五島列島などが主な流刑地となった。

4.あらすじ(どんな話か)
・同心の庄兵衛は、罪人喜助の穏やかな表情が、いままでの罪人と誓うのを不思議に思っていた。
・それは、喜助の様子が罪人とは思えぬ晴れやかな表情をしていた。
・同心は、勤めを果たすべく罪人と話をすることはないのですが、
 庄兵衞はついにこらえ切れなくなり、喜助に聞いてしまいます
・喜助の話は
・自分は定住して暮したことがなかった。京の町で苦労ばかりしてきた。
・島がどれほど辛いところであろうと、今よりはましだろう。
・それにお上から手当として二百文(5千円程度)が与えられるた。
・喜助には、これまで二百文という金を手にしたこともなかった。

・骨身を削り働き、賃金は借りた金を返し、また別の金を借りる。
・ほんのわずかの蓄えもなかった自分が、捕まってからというもの、
 住むところはある、食事さえお上が用意してくれる。
・さらにこの二百文もいただき島での仕事の元手にしようと思うと、
 楽しみでしょうがないと話す。

・喜助の話を聞いた庄兵衞は、人は
 金がなければ、金が欲しい。
 食がなければ、食がほしい。
 仕事がなければ、仕事がほしい。
 蓄えがあっても、その蓄えがもっと欲しいと
・どこまでも欲を求めて踏みとどまることが出来ないが
・この喜助は、それを踏みとどまっていると気がついた。

・庄兵衞は、彼は弟を殺し、この舟に乗っているが、それでも晴れやかな表情なのはなぜなのか、
 喜助に聞いて見た。

・喜助は次のように答えた。
・幼い頃に両親を亡くし、自分は弟と常に一緒に暮らしてきた。
・その弟が、去年の秋に病に倒れた。
・弟は、ひとり仕事へ出る兄に、いつも申し訳ないと言っていた。
・ある日家に戻ると、血まみれの弟が布団に伏せっていた。
・弟は兄を早く楽にさせようと、自分で喉を剃刀で掻き切った。

・弟はまだ息絶えておらず、死に切れぬ猛烈な苦しさに、
 兄に剃刀を抜き楽にしてくれと願った。
・最初はためらった喜助は、やがては覚悟を決め、
 弟の喉元に刺さる剃刀を引き抜いた。

・その瞬間を近所の老婆に見られ、奉行所へと連れて行かれた。

・庄兵衞は
・弟を苦から救おうとした喜助は果たして、
 人殺しなのだろうか……と考えたが
・自分では結論が出せない上の判断に従おうと言い聞かせた
 しかし、胸の内のわだかまりが消えることはなかった。

・そうして、高瀬舟はふけゆくおぼろ夜に、
 沈黙の二人をのせて静かに大阪へと黒い水面を下って行った。

5.どんなテーマなのか
1.人のつきることのない欲についてテーマ
 *貧困者の喜助が踏みととどまることが出来ているのはなぜなのか

2.安楽死とは、弟を苦から解放した行為は罪なのかというテーマ
 *庄兵衞自身は、結論が出ないのでお奉行様の判断を結論と考えたが
  そうは思っても腑に落ちないものがあるとのべている。
 *現代社会では、安楽死の介助は認められない。

・しかし、苦しみもがく他者をみて、目を伏せていることは罪ではないのかとも
 考えられる。
・中学生には、難しいテーマである。
・やはり、神か仏に聞くしかない。また聞いて見たい。

作成日:2018/09/05 

  


   








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