01 この文章は「国際性」とは何かを考える「あらすじ」になっている。
02 1957年(敗戦から12年後)
著者(35-6才)はフランスのパリで貧しい講師の仕事をしていた。
その頃の日本は国際評価も厳しく、日本人も日本も惨めな時代であった。
03 パリの下宿屋から日本人という理由で下宿を断られたり、
貧しく安い食事をしながら、それでも勉強を続けていた。
04 ある時、行きつけのレストランで、店のフランス人の親子から
パンを余分にもらったり、サービスで温かいスープをサービスで頂いたりして、
人を思いやる温かい心と親切に接した。
05 この様なことから、著者は
「求めるところのない隣人愛としての人類愛、これこそが国際性の基調である」と
確信した。
1.いつ頃の話か・・戦後10年頃の話である。
2.場所はどこか・・フランスのパリの町
3.だれの話か ・・著者の体験を説明している。
4.どんな話か ・・異国で受けた親切な体験をもとに「国際性」とは何かを
述べている。
5.話したいことは何なのか・・
求めるところない隣人愛と人類愛、これこそが「国際性」の
基調(きちょう)であると説明している。
段落1
日本は大戦前後、世界から嫌われていた。
それは、日本が独善的な民主主義と国家主義の教えのため
前後も嫌われていた。
その為、日本は仲間入りも認められず
オリンピックにも参加できませんでした。
そこから「国際性」の意味を考えて見る。
段落2
パリの大学の講師をつとめていたことがわかった
あとパリの人達は、日本人がきらいらしいこともわかった。
個人的には恨みはないが日本人にはあるとのこと・・
段落3
その時の話である。いつも土曜日は国立図書館に行くと決めて
夜は小さいレストランで夕食をとるしかなかった。
バリらしい雰囲気の小さな手作りの料理店であった。
段落4
若い非常勤講師の月給は安いから、月末は本当に金に困ることがわかった
そうゆう時は、オムレツしかたのまない。いちばんやすいから
段落5
ある時、「オムレツ」だけ、たのんで言ったけど、店のむすめが二人分のパンを出してくれた。まちがえたことを言ったら目で笑い首を振った。それで一人分しかうけてくれなかった。
段落6
の時は、2月の寒い季節、パリは北緯五十度に位置するから寒い
その夜は、ひょうが降った。私は例によって無理して「オムレツ」だけをたのんでいだ。
急にお母さんは「まちがえた注文」と言いながら温かいスープをあげた。
それはとてもうれしいこと・・・
段落7
わたしは泣きながら「スープ」を食べた。
フランスをきらいことはない。
親切のゆえ、めちゃ感動
段落8
ずっと「国際性」といってたけど
人きはそれではなく・・人のつながり
それは、愛が大事なことがわかった
作成日:2018/07/22