ベトナム

ベトナム情報       - ベトナムの歴史 - 

■原始時代の遺跡群

原始時代の遺跡

 ベトナム北部のトンキン湾に面した地域に多くの原始時代の遺跡がある。そこから新・旧石器時代の打製石器や剥片石器が多く発見されている。南のホーチミン市周辺のスアンロク(ドンナイ省)でも同じである。
中でも、タムハイのタムクエン洞窟(ランソン省)で最古の人類(原人)の歯も発見された。
約40~30万年前の地層からである。

 このことから、インドシナ半島東部の海岸に面した地域は温暖で原人や新人達が移動を続けながら長い間生活をしていたことが推定される。
採取された石器類からは、自然の採集の他にも農耕を行い豚や犬などの家畜も飼育されてことがわかっている。


■文郎国(ヴァンラン国, Văn Lang)の誕生

 ベトナム史略では紀元前2879年に文郎国が建国されたと書かれている。初代「雄王」(フン)の即位をベトナムでは建国の年としている。
その為「ベトナム5千年の歴史説」が国民に人気がある。
この王朝は、「フン王朝」として2622年間続いた。

紀元前218年中国の秦が進軍してきた「フン王朝」は6年後に秦軍を退却させたと伝えられているが、無能な第18代王朝で中国に滅ぼされた。

■ベトナム北部地域は、紀元前三世紀から二千年近くの長きにわたり中国の支配下に置かれた。
その後の王朝は、幾たびか中国からの独立を勝ち取ったが、
19世紀フランスの植民地になるまで、長きにわたり中国支配下の王朝が続いた。

ヴァンラン国の位置

■西山朝(タイソン朝)の誕生 (1778年~1802年)

 長い中国の支配が続く中、18世紀の後半に大飢饉が起こりビンディン省の西山(タイソン)村で大乱が始まった。その時の指導者「阮恵」(グエンフエ)は、支配者中国清朝を破り、タイのシャムも破ってベトナムを統一して「西山朝」を建てる。

しかし、王の死後、内部争いからこの王朝は衰退して滅びた。タイソン王朝は短命であった。
「阮恵」グエンフエ)と、
「雄王」(フン王)は共に、今でもベトナム人から「英雄」として尊敬されている。

■グエン王朝(ベトナム最後の王朝)

 その後の王朝は、西山朝に敗れて南に逃れた広南国の生き残り「阮福暎」の「グエン王朝」である。
阮福暎は、フランス人宣教師ピニョーの援助を受けて武器と武力をたくわえ、
西山朝を滅ぼし、中部「フエ」に都を置いて「阮朝」グエン王朝を建てた。

 しかし、この王朝の政治体制は清を宗主国とし中国式の国家体制の王朝であり、中国庇護の王朝であり、真の独立民族王朝ではなかった。
この王朝は、その後フランス植民地化の傀儡王朝として生き延びたが、ベトナム戦争で終焉を迎える。ベトナム最後の王朝である。(1809年~1945年)

フエのグエン朝


■ベトナムの歴史は、中国支配の歴史である。

 ベトナムの各時代には、それぞれ王朝は存在していたが「真の独立民族国」ではなかった。
この支配体制は近代に入っても続く、フランスの植民地と日本軍の進軍、アメリカ軍の介入など現代まで150年間続いた。そのあとベトナム戦争の指導者「ホーチミン」により、やっと外国から解放され
真の独立国家となった、しかしその犠牲は大きかった。

■ベトナムの歴史を学ぶと、歴史の暗闇部分が見えてくる。
力の弱い民族は、力の持てる民族下に入り搾取されて生きていく。
優れた民族指導者が現れて民族を解放しても、この流れは繰り返されていく。
それらを断ち切るためには、
優れた民族指導者の理念を継承していく教育力のある民族でなければならない。
民族独立のためには「真の教育」が欠かせない。

■多民族国家ベトナム

多民族国家ベトナム

さて、ベトナム中部と南部に目を向けよう。
現在のベトナムは、80%のキン族(ベト族)と20%の少数民族が生活している。
今までの話は、キン族(người Kinh)の話である。
ベトナムは多民族国家である。
少数民族の「チャム族とクメール族」がベトナムの中部・南部地域に
昔、王朝を建てていた話をしょう。

■チャンパ王国(チャム族)

チャンパとクメール

西暦192年 インドネシアから海北上してきたチャム族が
中国の庇護下に中部地帯にチャンパ王国を立てた。
航海術に優れたこの民族は、中部沿海と中部高原を中心に繁栄した。

王は、中国の影響から脱却を謀りインド文化を取り入れて、
ヒンドゥー教のシヴァ神を信仰、4世紀頃に「ミーソン聖域」を
建立したとされる。
この遺跡は、13世紀頃、歴史の表舞台から姿を消した。

20世紀、森に覆われていた遺跡をフランス人が発見する。
やがて修復が開始されたが、仏像やレリーフの盗難も多発した。
ベトナム戦争で「ミーソン聖域」のシンボルともいえる高さ28㍍の
壮麗な塔も破壊され遺跡は壊滅状態になった。
世界遺産に登録され、いま遺跡は修復されている。

ミーソン聖域

■クメール王朝

インドシナの大河

クメール王朝は、アンコールワットを造ったカンボジアの民族である。
ラオス・カンボジアを流れてきた大河メコンはベトナム南部に大三角地帯
(メコンデルタ)をつくる。このベトナム南部のデルタ地帯は、
クメール民族の土地であつた。

18世紀にキン族の「阮朝」(グエン王朝)に侵略支配され奪われた。
クメール民族は、今でも仏教徒である。
豊かなメコンデルタ地帯で農耕を中心に生活をして来たが
土地を奪われ、迫害と差別を受けているが、いまでもこの土地に
仏教徒として住んでいる。

その後、ベトナムはフランスの植民地となり、さらにベトナム戦争後はポルポト派による祖国カンボジアのクメール人達は大量虐殺され文化も民族も消滅に追い込まれた。
このメコンデルタの土地は戻ることもなく、クメール人は、ベトナム人として
いまも、この地で生きている。

メコン河とクメール人

■陸続きの大陸の中で民族が自立してそれぞれ生き続けるのは難しい。
 民族は言葉も異なるし信仰も異なる。
 歴史は、力のある民族が武力を使い他民族を支配下におき「富を奪う」歴史である。

 中国は、チベットを奪い、今は西域のウイグル自治区を侵略している。
 やがては、ベトナムも、また奪い返しに来るかも知れない。
 共栄共存の理想とは、ほど遠い世界が21世紀の現代も続いている。
 
■幸いかな日本は島国である。言葉の違う他民族に侵略支配されたことはなかった。
 先の大戦では敗戦したが短期間で独立も果たした。先人達の偉業である。
 
 他国のミサイルが上空を飛んでも騒ぐこともなく、
 「平和ぼけ」の日本人と思われても他民族の侵略を経験していないので分からない。
 戦争の悲惨と他民族支配の経験者達は、もう90歳の高齢者達。
 有り余る食料と物に囲まれて育った戦後の未経験者達は、
 理念ばかりが先行して、現実を知らない世代達である。

2017/10 (記)   

  






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