★ミャンマーの歴史」  

■ミャンマー(旧ビルマ)は、南は海に、北はインド・中国・タイ・ラオスと地続きの国です。
・この周辺の国々が昔から、ミャンマーの歴史に深く関わってきました。

・ミャンマーの歴史に、最初に登場するのは「モン族」です。
・紀元前500年頃に、モン族はミャンマー南部に町をつくりインドと交易をしていたようです。

・モン族は、古くから東南アジア各地に広く住む民族で、言葉はクメール語を話す人々です。
・もともとは、中国の長江流域の山岳地帯に住む民族ですが、歴史の流れの中で、東南アジア地域まで南下したようです。

・現在でも中国の雲南省・貴州省やベトナム・ラオス・タイに少数山岳民族としてモン族は住んでいます。


ミャンマ-情報    - 古代文明 (ピュー族)- 

■紀元前後にピュー族という種族が、ミャンマーのエーヤワディー川の中流域に町をつくりました。

・9世紀にシャン族(タイ族)に滅ぼされまで、この「ピュー文明」は、長い間その勢力を維持していました。
・ピュー文明は、インドの文化を取り入れた文化を持っていたと考えられています。

・また、エーヤワディー川の中流域に「9つの城塞都市」をつくり、人々は長い城壁に囲まれたその城壁都市の中で、暮らしていたと考えられています。
・9つの都市のビュー同士、お互いに交易をおこなって栄えていたようです。

・現在まで、7つの城壁都市ビューが発見されたましたが、そのうち3か所が、
 2014年、ミャンマー初の世界遺産として登録されました。
・このピュー族、どこから来て、どのような人々なのかは、ピュー語の解読が進んでいないのでわからないようです。

ピュー遺跡

ミャンマ-情報    「★王朝文明の登場」(ビルマ族) 

■パガン王朝の登場(9世紀)

・9世紀に、ピュー文明がシャン族(タイ族)に滅ぼされたころ、チベットから南下して来た「ビルマ族」が、ピュー族の文化を受け継ぎながら、モン族・シャン族を始め他の民族と連合して、パガンに最初の「統一王朝」をつくりました。

■パガン王朝の滅亡 (13世紀)

・13世紀になると、モンゴル帝国がアジアに南下し中国の雲南省にいたタイ族は、追われてタイやビルマへ移動してきた。
・数回にわたるタイ族の民族移動で、パガン王朝との争いが起こりパガン王朝はしだいに衰退していった。
・13世紀の末にはモンゴル帝国と衝突し、約500年の歴史をもつパガン王朝は滅亡しました。

ビガン遺跡

■タウングー王朝の登場 (15世紀)

・パガン王朝滅亡後は、約200年以上この地域は分裂が続いていた。
・15世紀、ビルマ族の「タウングー王朝」が、ビルマの再統一を果たした。
・16世紀には、隣国タイ・ラオスのタイ族を滅ぼして大ビルマ帝国を築いた王朝です。


■コンパウン王朝の登場と滅亡 (18世紀)

・18世前半、衰えていた「タウングー王朝」にかわって、同じビルマ族の「コンパウン王朝」が、国内を統一し、都を北部の「マンダレ-」に移した。
・その勢力は、やがてタイの「アユタヤ」を占領し、マレー半島やインドにも拡大していった。

・19世紀、インドやシンガポールを植民地化していたイギリス帝国はこれを嫌い、
・コンパウン王朝と3度にわたり戦争をした。(1824~26年・1852年・1885年)
・勝利したイギリスは、ミャンマー全体をイギリスの植民地とする。

・1886年、ビルマ国王夫妻は捕まり、インドのボンベイに流刑になり死亡した。
・王子は処刑され、王女はイギリス軍士官の従卒(じゅうそつ)に与えられて、ビルマ王朝は滅亡した。
 【従卒】・・召使い (イギリス人は、ひどいことをする民族だ)

・1942年、日本軍は、イギリスの植民地支配に苦しむビルマを解放するとの名目でビルマに進軍する。
・ビルマをイギリスから解放し追放したが、1945年まで軍事占領した。
・1948年「ビルマの独立」が、国際社会から正式に認められる。

・独立してから現在まで70年以上経っているが、いまも混乱が続いている。
・ビルマ(ミャンマー)とは、戦後どのような歩みをしたのか現代史を見てみよう。


2019/03/15 (記) Ouxito   

  




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