★日本の風景        - 五能線の風景 -

動画制作:Ouxito 


日本の風景    五能線 (ごのうせん)について 

・奥羽本線(福島~青森)が、明治27~38年全線開通した。

・奥羽本線は、能代から弘前経由の山側を通り青森とつながりますが、海岸線の岩館や深浦の日本海側は取り残されました。

・その後、東能代と能代間に能代線が開通して、やがてこの能代線の延長線として、昭和11年、青森までの147.2kmの「五能線」が全線開通しました。

・五能線は、日本海の奇岩に打ち寄せる波や白神の山々など美しい風景を満喫することができるので、現在は人気が高い地方路線となっている。

 

 


津軽の文学   太宰 治について 

・太宰治は、日本を代表する小説家です。
・主な作品に『走れメロス』『津軽』『人間失格』や『斜陽』などがある。

・生家は、五能線の五所川原駅から「津軽鉄道」に乗り金木駅で降りると『斜陽』のモデルとなった「斜陽館」がある。
・ここが太宰治の生まれた家です。

・地方財閥の子供として生まれたが、病弱な母親の愛情を受けずに育ち、のちの女性遍歴の理由は、その反動かも知れないと思っている。

・美しい文体を書く才能あふれた小説家で、自伝的小説が多い。
・小説家「芥川龍之介」を崇拝し、恩師「井伏鱒二」に多大な迷惑をかけながら生きていく。
・1948年6月13日、最後の愛人「山崎富栄」と玉川上水で入水して亡くなった。(38歳)


・妻「石原美知子」当ての遺書には、
・「あなたを きらいになったから 死ぬのでは無いのです 小説を書くのが いやになったからです。みんな いやしい 慾ばかりの悪人です。」と下書きには書かれていた。

・津軽生まれの純粋な青年が、明治後半から大正・昭和前半の激動の流れの中で、左翼主義に傾倒し破れ、才能を持ちながら精神的支柱を求めて苦悩し、救いを求めて波乱万丈の劇的な生き方をした小説家ではないか。
・太宰治の生き方は、まさに大小説的であると思っている。

2019/06/30 (記)

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