ラファエロ


・聖母マリアについて 音で読む

聖母マリアについての記録は、ほとんどない。

・聖母マリアの両親に関する情報もとぼしい。

・2世紀頃に書かれた民間伝承『ヤコブの原福音書』(聖書の外典)にわずかに書かれてある。

聖母マリアは、信仰心深いナザレ人のヨアキム(父)とアンナ(母)という夫婦の間にナザレで生まれた

・高齢で子どもに恵まれない夫婦は、赤子を授かることを切望していた。

・その為、父ヨアキムは、荒野で40日間断食をつづけ、母アンナも嘆き悲しんでいた。
・そんなとき二人の前に天使があらわれて、神に祈りが届いたことを告げた。

・それから9ヶ月が過ぎた頃、アンナは「女の子」を産んだ。
・この子が、聖母マリアである。

・夫婦は娘に「ミリアム」というモーセの姉と同じ名前をつけて大切に育てたと書かれてある。


イエスを 受胎した時のマリアの年齢は?

これも『ヤコブの原福音書』では

・12~14歳で受胎告知を受け、老人ヨセフと結婚をした。
・イエスを生んだのは、12〜14歳ということになるようだ。

・当時の社会としては、珍しいことでもないらしい。


ヨセフとなぜ結婚したのか?

・婚礼期(12~15歳)になったマリアは、神の意志により結婚することになったと書かれてある。

1.マリアの夫を選ぶにあたって、天使のお告げで、対象の独身男性が神殿に集められた。

2.集められた中にヨセフがいた。
・ヨセフは「私はもう年寄りですから」と遠慮したが、祭司が「これは神の御意思であるから、背いてはいけない」とヨセフを参加させた。

3.それぞれの独身男性の手に杖が持たされた。
・お告げでは、その杖の先に花の咲いたものがマリアの夫になることが決められていた。
・するとまさに、ヨセフの手にしていた杖から花が咲いたのです。


ナザレのヨセフ】とは、

1.ガリヤラのナザレ生まれ。

2.ダビデ王の子孫で、職業は大工であると言われている。

3.新約聖書に登場するマリアの婚約者で、夫にしてイエスの養父である。

4.カトリック教会では「義人で忠実な人である聖ヨセフ」と呼ばれている。
5.それで3月19日は、聖ヨセフの祝日として祝っている。

6.イエスの十字架の時には、ヨセフは、すでにナザレで死没していた。


婚約

イエスの十字架の後、聖母マリヤは、その後どのように暮らしたのか?

・イエスが処刑された時(30才頃)、聖母マリアの年齢は、40歳後半である。

・その後、聖母マリアがどこに身を寄せていたのか新約聖書には記録がない

・処刑の後、イエスの使徒たちが集まった2階の部屋にマリアもいたことから、キリスト教会の禁明期には、聖母マリアも参加していたと思われる。

・その後は「エルサレム」にとどまったか、あるいは「ナザレ」に戻って、暮らしたのかわかっていない。

★福音書のヨハネ伝によれば、(使徒【ヨハネ】説)
・十字架に架けられたイエスは、
・傍らにいた弟子「ヨハネ」に母マリアを託したと書かれてある。
・その為、聖母マリアは、「ヨハネ」と、ともに暮らしたという説である。

☆いずれにせよ、マリアの世話をする人がいたはずだ。
・考えられるのは、弟子のヨハネとヤコブである。

・ヨハネは、その後、トルコの「エフェソス」方面の布教を担当したので、
・聖母マリアもヨハネとともに「エフェソス」に、移り住んだと言われている。

・エフェソスの街は、トルコの地でイスラエルからは遠い。
・当時は、大型の船が寄港できる国際貿易港でもあり、その為マリアの移動は可能だったと言われている。

・しかし、高齢の聖母マリアは、
・遠い異郷のトルコに行って暮らすのだろうか?、疑問が残ります。

 トルコ・エフェソスの【聖母マリアの家】とは

・トルコのエフェソスの南の丘の上に「聖母マリアの家」という小聖堂が建っている。

・このエフェソスの地は「イエス・キリストの母、聖母マリアが最後にお住まいになった場所」と書かれている。

・しかしこの場所に、マリアが住んでいたという証拠はなにもない。


★この「聖母マリアの家」は、
・一人の神秘的なドイツの尼僧
カタリナ・エメリッヒ(1774-1824)が見た夢によって、この聖地が発見された。

エメリッヒは、
・28歳で修道院に入り、ほとんど食事も取らず横になったまま過ごした。

・しかしキリストの聖痕から血を流したり、空中浮揚や透視・読心といった超能力を持っていたといわれている。

夢の中でみた「エフェソス」のマリアの家は
・丘の上、ラバの通れる道の先に建っていて、エーゲ海とサモス島が見渡せる・・・」と語った。

・その言葉が、聖母マリヤの聖地の発見の発端だという。

・1891年、彼女の言葉をもとにエフェソス南手の山地を発掘調査したところ、
・彼女の言葉と全く同じ場所に、1世紀と4世紀の壁の跡が発見された。

・7世紀頃には「聖堂」も建て直されたことも明らかになり、
・そこに建てられていたのが聖母マリアの家であることがわかったらしい。

・その後、1967年ローマ教皇パウロ6世がこの家を訪れ、聖母に祈りを捧げた。

・このことによって、それまで地方のひとつの巡礼地でしかなかった家が、ローマ法王庁公認の聖地へと格上げされて現在に至っている。

・しかし、やはり疑問が残る。
・イスラエルから1800㎞以上離れたトルコの「エフェソス」で、高齢の聖母マリアは、一人寂しく暮らしていたのだろうか。それでは、その墓はどこにあるのだろうか。

エメリッヒの見たマリアとは、もっと若い「聖マリア」だったのではないか。それならば理解できる。


聖母マリアの家



  

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