マリアの最後


・聖母マリアの死 音で読む

聖母マリアの墓は、どこにあるのか?

聖母マリアの死についても、何ら記録がない
・いつ、どこで、どのように世を去ったか、知るすべがない。
・キリスト教の重要な基本事項でありながらおかしなことだ。

①トルコの「エフェソス」で、聖ヨハネと暮らしたという説では

・4~5世紀の時代には、エフェソスが聖母マリアの「終焉の地」として知られている。

・この地で聖母マリアは、静かに「祈りの日々」を過ごして亡くなったと言われている。
・聖母マリアに捧げられた教会は、地元のエフェソス教会で、そこに墓があるという説です。

②イスラエルの「エルサレム」で、暮らしたという説では

・聖母マリアは、故郷から遠く離れるのを嫌がっていた。

・しばらく使徒たちと暮らしたが、やがてエルサレムの郊外の丘に住んだ。

・ヨハネが建てた石造りの小さな丘の家に一人で住み、静かに祈りながら最後を迎えた。
・聖母マリアの死が近づくと、イエスの使徒たちが聖母マリアの家に集まった。

・みんなで聖母マリアの最後を看取り、遺体は墓布で包まれた。

・そして枝で編んだお棺の中に置かれて谷の洞窟に埋葬されたという説です。

エルサレムの聖母マリアの埋葬地には別の説もある。

・イエスの昇天を見送った「オリーブ山」のふもとの墓地に、聖母マリアの墓がある。

ギリシャ正教会は、この説をとり聖母マリアの墓地とみなし聖母マリア墳墓教会を建てて信仰している。

他にも諸説があります。その真実は、いまでもわからない。

・もうすぐ50歳に手が届きそうな女性が、故郷から遠く離れたエフェソスまで移住するのは難しい気もする。

・ただ、聖母マリアの墓の場所がどこであれ、息子を失った母親が、安息できる場所で暮らしながら「祈りの中」で静かに最後を迎えたと解釈している人が多い。

■7世紀の作家で、テーベのヒュポリトゥスという人物は、聖母マリアはイエスが死んで後、11年間生きて57歳で死んだという計算をしている。

・伝説上のおくそくの計算ですが、参考にして下さい。

 1.マリアの誕生(0 歳):紀元前17年 (9月8日)
 2.受胎告知  (12歳):紀元前 3年
 3.イエスの誕生(13歳):紀元前 4年
 4.イエスの死亡(46歳):紀元後29年
 5.マリアの死亡(57歳):紀元後41年

マリアの昇天説

ルーベンス
 ルーベンス画

ティツィアーノ
 ティツィアーノ画


東方正教会とカトリック教会は、
・後世マリアは、体も魂も天に召されたのだと主張している。

カトリック教会は
・聖母マリアは、生きたまま天に迎えられたと説明している。

東方正教会は
・聖母マリアは、人間と同じように自然死をした。

・そして聖母マリアの魂は、死の際にキリストによって受け取られ、聖母マリアが安息したあと彼女の魂とその肉体は、天に召されたと説明している。

・さらに天国に召されて3日目の日に、彼女の肉体は蘇ったと唱えている。


 聖母マリアの聖なる帯

プラート大聖堂

カトリック教会では、

・インドで伝道活動をしていた使徒トマスが、聖母マリアを看取るために急いで戻るとき、聖母マリアが雲に向かって昇っていく途中、被昇天の証としてラクダの毛で作られた自分の帯を使徒トマスのもとに落として与えたとされている帯がある。

・それは聖なる帯と呼ばれ、イタリアの「プラート大聖堂」の聖遺物箱に、いまも保管されている。

・9月8日のマリアの誕生日を含め、年に5回取り出されて公開されているようだ。


  

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