「★カンボジアの歴史2」  

ポル・ポトの大量虐殺

■カンボジアの歴史の中では、ポル・ポト政権による残虐な行為を忘れてはならない。
・日本人の若い方々は、この事実を知っているのだろうか。

・ポル・ポト派の「民主カンプチア政権」は、1975年4月~79年の間に、170万人前後(人口約700万人中)の命を奪ったとされている。
・イデオロギー達成のため、同胞カンボジア国民の4分の1を虐殺したのだ。
・人口比では、歴史上、例を見ない同民族による大規模虐殺である。

■大量虐殺(ジェノサイド)は、歴史の中で多く繰り返されてきたが、多くは他民族による虐殺である。(・ナチスによるユダヤ人のホロコーストなど)

しかし、カンボジアの悲劇はカンボジア人が同胞のカンボジア人に行った虐殺行為である。

■なぜ、この様な行為が行われたのか

・今から40年前、ポル・ポトは「民主カンプチア」の首相に就任し1979年までカンボジアを支配した。
・この政権は、ポル・ポトを指導者とする急進的な共産主義政権(クメール=ルージュ)であり、国名も「民主カンプチア」とした。

・この政権の国家体制は、原始共産主義をモデルとし、カンボジア山岳民族の自給自足の生活を理想とする重農主義・農業主義をとり、中国の毛沢東思想の影響を強く受けていた。

・その実現のためポル・ポト派は政権を掌握すると都市住民を農村に強制移住させ、食料増産や水利事業などの肉体労働を強要、全国に人民公社を建設し集団生活を強いた。

・都市住民を「新人民」、解放区にいた農民を「旧人民」として前者を差別、分断支配を試みたが、この農業集団化政策は失敗に終わった。

・その責任転嫁をポル・ポトらの幹部は「人民内部」の敵に求め、反主流派(親ベトナム派)幹部、旧政権出身者、「新人民」へと粛清の対象を広げ、最後には「旧人民(農民)」もささいな罪で虐殺したのである。

・また、生産された米の多くは武器調達のために外国に輸出したため、国民の多くは飢餓状態に陥った。
・裏切り者や犯行者に対するスパイ監視を強め、医師や教師を含む知識階級を大量に殺害するなど虐殺が横行した。
・やがて虐殺の対象は農民まで広がり、カンボジアは、事実上国土全域が強制収容所化の状態となった。

■理想とする共産主義国家達成のために、これ程の残虐行為が行われたことはイデオロギーに狂った人間の悪魔性を見る思いである。昔の話ではない、ベトナム戦争終結の1975年~79年の現代世界である。


■さらに忘れてはならないこと

・1978年、ベトナム戦争で勝利したベトナム軍が、ポル・ポト政権のカンボジアに侵攻した。(ベトナム・カンボジア戦争)

・このベトナム軍の行為に、米国・日本・中国・ASEAN などの国際社会が非難して、ジャングルに逃げ込んだ大量虐殺を行った政権のポル・ポト派を事もあろうに、カンボジアの唯一合法政権として支援し援助した。その後は、ベトナム・カンボジア戦争は泥沼化した

・大量虐殺を知りながら、日本政府は援助したのである。
・その後、政府への非難を恐れてか日本では、この大量策略は報道されなくなった。
・その為か、日本人は、このカンボジアの大量虐殺を知っている人はすくない。

YouTube「sacco」さんから 13分

★「ポル・ポト政権は、なぜ生まれたのか」

■図表の解説1

①ベトナム戦争
・ホー・チ・ミンが率いるベトナム民主共和国(北ベトナム)は、南ベトナムを「アメリカ合衆国のかいらい国家」と規定し、共産主義イデオロギーを背景に、ベトナム人による南北ベトナム統一独立国家の建国を求める戦いを繰り広げていた。

・1965年米国のジョンソン大統領は、これらの行為に対して3月大規模な北爆を開始した。
・やがて戦争は激化して1975年4月までの10年間、悲惨な戦闘が繰り広げられた。

・戦争の犠牲者は、アメリカ戦死者22万5000、負傷者75万2000(いずれも推定)
・北ベトナム戦死者97万6700、負傷者130万(いずれも推定)
・一般市民(北と南で約458万人)と推定されている。

・この戦争は、米国軍を中心に韓国軍・タイ軍・フィリピン軍・ニュージランド軍が参戦し、北ベトナムにソビエト・中国が大量の物資と兵器を援助したため、資本主義陣営と社会主義陣営の冷戦を背景とした代理戦争でもあった。

②ロン・ノル政権誕生(カンボジア)
・北ベトナムは、カンボジア国内を経由してベトコンに物資を輸送していた。
・米国はこのルートを壊滅させるため、カンボジアの親米派のロン・ノル将軍を使ってクーデターを起こさせ、反米派のシアヌーク国王を国外に追放した。

③カンボジアの空爆
・米国のかいらい政権が誕生すると、カンボジアに空爆が開始された。
・米軍のカンボジア空爆は一時中断したが、1973年ポル・ポト軍に追い詰められていたロン・ノル政権軍を援助するためポル・ポト軍基地に大量の爆弾を投下した。

・米軍が投下した爆弾の量は、第二次大戦で日本に投下された爆弾の1.5倍にあたり、被爆地区を石器時代に逆戻りさせたといわれた。
・この空爆でカンボジア民衆を結果的に、ポル・ポト政権支持に回すことになった。

④ポル・ポト政権の誕生
・1975年ベトナム戦争が終結すると、カンボジアでは民衆の支持を受けたポル・ポト政権が誕生した。

・ポル・ポト派が、民衆の支持を受けたのは米軍の空爆抵抗もあるが、
・民衆の支持が強い追放されていた「シアヌーク国王」が、このポル・ポト政権を支持したためと言われている。


 ロン・ノル(1913-1985)


 第二次世界大戦の悲惨な戦争を経験したにもかかわらず、紛争による戦争は止まらない。
・現代戦争は、武装した兵士より非武装の市民が、大きな被害を受けている
・ベトナム戦争やカンボジアの悲劇などはそのそのことを物語っている。

・紛争は、冷戦時代の「共産主義対資本主義」から「イスラム主義による宗教紛争」へと変化している。
・その被害規模は、想像を越えた大きなもので悲惨な紛争となっているのである。


2019/05/02 (記) Ouxito   

  


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